パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

20年前(2000年7月から約1年間)メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第12話です。

※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」

※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。

※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。


1982年12月下旬。釘崎青年、大学3年生のクリスマス前の頃。

大学のサークルである人形劇団の団長を務めていた僕は、その年最後の公演を終え、ちょっとした達成感と充実感に浸りつつも「あー、これで俺の人形劇団生活も終わり……。青春の1ページも幕を閉じるんだな」という寂しさに似たものを感じていました。

我が「人形劇団ZOO」では、大学3年生の後期公演が終わった段階で後輩に道を譲るしきたりになっており、翌年に控えている卒論やら就職活動やらに精を出すことになっていたのです。

「就職といってもなー…なんだかピンとこないな…」

「卒論もまだまだ先だしなー…」

「ぐだぐだぐだぐだ…」

それまで人形劇やはとバスでむちゃくちゃ忙しかったことによる反動なのか、なんとなく燃え尽き症候群みたいにボーっとしていました。

ちょうどその頃、兄から「おい、お前うちの会社で働いてみんか?」と、声がかかったのです。

兄は僕よりも5歳年上で、当時は入社4年目の会社員。兄の立場は、総務部人事担当。会社の名前は、株式会社日本リクルートセンター。

「日本リクルートセンター?たまに学生の意識調査やらを発表しとる何やら胡散臭い調査会社みたいなところやろ?なんで東大まで出て、そんな訳の分からん会社に就職するん?」

兄が大学4年生の頃、就職先をこの会社に決めたと聞いて不思議に思って尋ねたものです。東大卒といえば、大蔵省とか弁護士とか検事とか、民間であっても銀行とか新日鐵とかの重厚長大企業に入るもんだという固定観念があったんですね(事実多くの東大生はそうでした)。

それはともかくとして、そんな兄が胡散臭い(と相変わらず僕は思っていた)自分の会社に来いと言う。

僕:「んー、まぁいいけど、いくら貰えるん?」

兄:「1日7時間の勤務で7,200円。残業を含めれば1日1万くらいかの」

なにー!イチまんえん!?

当時の学生アルバイトの相場は、せいぜい時給500~600円程度。はとバスなんて、時給450円の薄給でした。

それに比べて兄の会社は、時給に換算するとその倍以上。

僕:「やる、やる、今すぐやる。はとバスも辞める。で、いつから?」

兄:「おー、そうか。じゃあ適当な営業所を紹介するから待っちょれ」

その数日後、兄から「話をつけておいたから行ってこい」と指示されたのは、神田多町の薄汚いビルに入居している同社の営業所。20人くらいの従業員が働いている営業所で、行くなりそこの所長さんが大変親切かつ丁重に仕事の説明をしてくれたのでした。

「なかなか感じのいい会社じゃん!」と思ったのもつかの間、「じゃ釘崎くん、こっちの部屋にきてください」と通されたのはガラーンとした殺風景な会議室。

所長:「今日あと2時間ほどいいですか?」

僕:「へっ?2時間もですか?別にいいですけど…」

と返事も終わらぬ間に出されたのが、共通1次試験(注:1979年から1989年まで行われていた国公立大学の入学試験)みたいな問題冊子とマークシートの解答用紙。

所長:「一応、会社の決まり事で、全員にこのテストを受験してもらうことになっているんですよ」

と、ニコニコしながらその所長は説明するのですが、一応という割に2時間のテストというのはちょっと異常だ。

そう思った僕は、「あの~、このテストの成績が悪いとどうなるんですか?」と恐る恐る聞いてみたら、その所長は平気な顔をして「そりゃあ、仕事をしてもらうに足る成績じゃないとねぇ、いくらお兄さんの紹介とはいってもねぇ、ま、気にしないで受けてみて」と、いとも簡単に「ダメなら落とす」と言ってくれるではありませんか。

内心、『ゲッ!そんなこと聞いてねぇぞ!』とビビリつつも、「わかりました。頑張ります」と答えてしまったのでした。

その試験の名前は(もちろん後から知ったのですが)「SPI」。そう、今年就職活動をした諸君がさんざん受けてきた適性検査だったのです。

賢明な読書のみなさんは、もうお分かりでしょう。日本リクルートなんちゃら、という調査会社もどきの会社は、実は「リクルート」そのものだったんですね。

このSPI受験の日が、僕のその後の人生を大きく決定づけた記念すべき日だったのですが、もちろんその日の僕はそんなこと知る由もなく……。

抜き打ちで2時間以上も散々難しい試験をやらされヘトヘトになっていた僕は、帰りに神田の駅前で憂さ晴らしのパチンコに興じていたのでした。

つづく


 

高い時給に釣られて、なかば騙されるようにして受けたリクルートの入社試験(単なるアルバイトのはずだったんですが)。

果たして合格するんでしょうかね(‘_’)

この続きは、また明日載せることにいたしましょう。

さて、本日は行列のできない法律事務所に行って、そのあと大阪の方々とのテレビ会議です(正確にいうと会議ではないんですがw)。

では、朝食&エール後、行ってきます!