パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

20年前(2000年7月から約1年間)メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第17話です。

※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」

※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。

※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。


1983年4月。

僕が感動の初受注をあげた直後、わがリクルート神田営業所は、それまでの貧乏臭いビルから神田駅前のメインストリートに面した大きなビルに引っ越しをしました。

まだ新築間もないキレイなビルで、「売れない営業マン」の汚名を返上した僕を含む営業所のメンバーたちは、気持ちも新たに仕事に取り組んでいたのでした。

当時の営業所メンバーは、仕事が終わると神田駅そばの通称「ビニールハウス」と呼ばれるビニールテントで囲われた屋台みたいなところで飲んで帰る(いや帰れない日も多々ある)のが日課であり、本当は学生であったはずの僕は、すっかり身も心も「新社会人」になった感じでした。

なかでも毎日のように一緒に飲み歩いていたのが、その年の新入社員のムライミツルという営業マン(ムライさんについてはバックナンバーを参照。日の当たる道を共に歩いた人です)。

当時のリクルートには、とても優秀な社員が多かったのですが、このムライさんには「優秀」という形容詞で片付けてしまうにはおよそ収まりきらない何かを感じたものでした。

でも、僕の評価は高かったものの(ムライさん、エラソーにスミマセン!)、所長や先輩社員たちの評価は最悪もチョー最悪。

「ムライー・・・ったく、またオマエカ!!」

詳しいシチュエーションは忘れてしまいましたが、何かと問題を起こす新入社員だったのです。怒られてもすぐその後「ぶっ!」と営業所中に響き渡る屁をこくものだから余計上司の受けが悪かったのだと僕は密かに推測しています(笑)。

そうそう、僕とムライさんは毎晩一緒に夜遅くまで飲み歩いていたのですが、翌朝は誰よりも早く(朝7:30頃)出社して、皇居までジョギングをやったりもしていました。

どうしてジョギングなんて柄にもないことをやっていたのか、いま考えてもまったくもって不思議なのですが……。その他ここではとても書けないような数々の悪行・珍行を繰り返していた変なコンビなのでした。

このムライさん、実は後年、パフ創業に決定的な影響を与えた人物なんです。

でも、このころはそんなこと夢にも思わず、所長・上司に睨まれながらも楽しい営業活動を送る毎日でした。

(次号は、またも運命の出会いにつづく)


 

これは、あくまで20年前に書いた物語。いまならとても書けない内容ですね(苦笑)。

さて、雨雲はなかなか去ってくれませんが、明日からの予定はいまのところ変更なしです。

では、朝食&エール後、午前は在宅、午後はオンライン講演会+リアル打ち合わせに行ってきます!