釘さん日記

帰り道の吉野家を書く日

僕はお付き合いがない日は、夜の9時から12時までの間に帰宅するようにしている。

付き合いがある日でも、(最近、品行方正になってきた僕は)できる限り一軒目で終了になるよう努力している。

まあ、どんなに遅くなったとしても、「翌日にならないうちに家に帰る」ことを努力目標としているわけだ。

 

で、きょうの帰り道。お付き合いもなく、会社からまっずぐ家に向かった。打ち合わせや社員との面談が終わったのが夜10時近くだったため、会社を出た時間はすでに11時を回っていた。

きょうの帰り道は、ひときわ寒かった。北風が吹きすさび、ポリバケツが道路のうえをコロコロと転げ、新聞紙が宙を舞っていた。

「うわっ、さぶっ」と、一瞬、タクシーで帰ろうかという誘惑に負けそうになったが、メタボな僕は「いや、いかん!」と思いなおし、早足で歩き始めた。

帰り道で、いつも考えること。 「きょうの夜は何を食べるか」

平日の夜は、原則として家で食事をしない。仕事柄(社長という役職柄)、夜のお誘いが多く、しかも急なお誘いも結構あるものだから、家に食事が用意されていると、たいへんな重圧になってしまうからだ。

よって付き合いがない日は、帰り道の途中で食事をとることになる。

とはいえ、築地から月島への帰り道。選択肢は非常に限られている。

1.シナ麺(ラーメンとは少し違う)

2.吉野家

3.ふくちゃん(博多ラーメン)

の3つだ。

1と3は、最近メタボな(くどいっ)僕は、できる限り避けるようにしている。そうすると、残る選択は、2の吉野家ということになる。

そう、あの偉大な牛丼の吉野家である。

僕は大昔からの牛丼ファン。東京に生まれて初めて出てきた15歳のころ、牛丼の旨さにびっくりしたものだ。

以来、30年以上、牛丼を食べ続けているが飽きない。ほんとに旨いと思う。その日の気分にあわせて生卵を入れたり、“つゆだく”にしたり、紅しょうがをたっぷり入れたり、お新香をオーダーしたり、バリエーションも楽しめる。

ということで今夜も、帰り道の途中で、吉野家に立寄った。

深夜の吉野家の従業員には、外国人の若者労働者が多い。たどたどしい日本語で、一生懸命はたらいている姿には、とても好感が持てる。客が多く、オーダーに追いつかないときなど、“がんばれ、がんばれ”と応援したくなる。

が、今夜の従業員は、いつもと違い、初老のおじさん だった。年齢は60代なかばくらいだろうか。動きがテキパキしており、挨拶もしっかりし、物腰も低い。タダモノデハナイという雰囲気を感じる。

・吉野家の現場たたき上げで、管理職くらいまで務めた方なのではないだろうか?

・現社長の安部修二さんより少し上の年齢なので、ひょっとしたら再建の苦楽をともにした人なのではないだろうか?

・30数年前の吉野家全盛期に入社して、店長を長くやっていた人なのかも知れないぞ……。

などと、想像が膨らんでいく。そうこうするうちに、出てきた今夜のメニューは、牛すき鍋定食(ご飯少なめ)。

「お待たせして申し訳ありません」 と、低姿勢に、でも明るくさわやかに、おじさんは僕のまえにお膳を置く。

牛丼も旨いが、牛すき鍋も、なかなかだ。

満足のうちに食べ終わって、勘定を済ませ、出口に向かう。

「どうもありがとうございました。またお待ちしております!」

と、爽やかな声で見送られる。

完璧だ。旨かった食事が、このおじさんの一声で、さらに心地よいあと味になる。

このおじさんの素性を、いつか聞いてみたいなあ、と思いながら、家路を急ぐ僕なのであった。

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