釘さん日記

うみたまごと、お猿さんと、パンダの日

実は昨夜から、僕の育った故郷である大分・湯布院に帰省している。出張と連休を利用して、ひとりで暮らしている高齢の母親の様子を見に来たのだ。

母親の面倒をみてくださっているご夫婦がいるのだが、ご主人が体調を崩され、別府(湯布院からクルマで30分ほど)の病院に入院している。そのお見舞いも兼ねての帰省だ。

宿泊したのは、実家ではなく、中学生時代の友人エトちゃんが経営する旅館。 『御宿なか屋』という旅館なのだが、とっても情緒あふれる宿だ。なんといっても料理が優れている。「豪華、贅沢」ということではなく、選りすぐりの素材を活かしながら、丹精込めて料理しているのがよく分かる。手作りの胡麻豆腐などは、最高の味だった。

エトちゃんは地元の高校を卒業したあと、板前の修業をするために、大阪に単身渡った。5年間の修業を終え、湯布院にもどり、この旅館の主人となった。料理の腕前は天下一品であり、うちの死んだ親父(やっぱり湯布院の板前をやっていた)ともかつて親交があったという。

加えていうと、エトちゃんは中学生時代、僕と同じく柔道部に所属していた。いっしょに黒帯を目指し、きつい練習に耐えた仲間だったのだ。なんだかんだの深い縁がある友人なのだ。

夕食と翌日の仕込みが終わった後、一升瓶を片手に夜遅くまで語り合った。中学生時代の思い出、湯布院の現状、教育論、子育て論、これからの町づくりのことなどなど。話は尽きなかった。

 

明けて本日は、(先に書いたように今回の帰省の目的のひとつである)別府の病院へのお見舞い。おじさんは、思ったよりもとってもお元気で安心した。

 

お見舞いのあと、少し時間があったので、水族館と高崎山の見学をしに行くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水族館は、昔は「マリーンパレス」という名前だったが、いまは「うみたまご」という名前になっている。別府湾に面した、とても立派な水族館だ。そしてこの「うみたまご」の向かいにある山が、 「高崎山」だ。自然のお猿さんがたくさん暮らしていることで有名な山である。

この水族館と高崎山に行ったのは、小学校の社会見学以来。たぶん40年ぶりくらいだったのかな。いやー、心が洗われた。特に無邪気なお猿さんたち。童心にもどった時間だった。

 

夕方、前日のエトちゃんに続き、もうひとりの中学時代の同級生、イオちゃんと会う。会うのは30年ぶり。まともに話をするのは33年ぶりである。過去の同窓会ではいつもすれ違いで、会えていなかったのだ。

イオちゃんが別府で働いているということは、昨年の暮れころ、別の同級生から聞いており、ぜひ会いたいなあと思っていた。その念願かなって、きょう会うことになったのだった。

「顔わかるかなあ…」と不安になりながらも、待ち合わせ場所である別府駅前の「手湯」のところでボッと立っていたら、 「パンダ? わたしや、イオやイオ」と、突然ひとりの女性が眼前に現れた。

「イオ? わあ、ひっさしぶり!」と声をあげたら、 「パンダ!ちょっと声でかいよ!」と33年ぶりに怒られてしまった(笑)。

僕の中学生の頃のあだ名は「パンダ」である。あだ名というよりも実名のようなものだった。先生たちも含め、僕を「クギサキ」と呼ぶ人は誰もいなかった。3年間ずうっと「パンダ」と呼ばれ続けてきた。

なので、前日、エトちゃんと飲んでるときもそうだったが、今夜イオちゃんと話をするときも、ずっと僕は「パンダ」だったのだ。

酒を飲みながら昔話をしていると、30数年前の記憶が見事によみがえってくる。僕は当時クラスの班長で、イオちゃんが副班長。イオちゃんはいつも僕の隣の席にいた。尊敬すべき先生方といろんな個性が集まった愛すべき同級生たち。七転八倒しながら一緒に過ごした多感な時代。

なーんて、ノスタルジに浸りながら過ごした別府の夜だった。

 

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