長い旅も、いよいよ大詰めを迎えた。
昨日の夕方、僕は愛媛の松山観光港に降り立った。広島の呉港から、高速船を使って約1時間。ここは、坊ちゃんの舞台、道後温泉でも有名な松山である。
松山に来た目的は、同業者であるコンベックスさんがこのたび立ち上げた、『ふるさと就職応援ネットワーク(Fネット)愛媛』の設立総会に出席するためである。
コンベックスの遠藤社長は、行動力の男である。全国のFネット加盟企業の中で先陣を切って、「ふるさと就職」を地元の有力企業を巻き込みながらカタチにしようとしている。
今回のFネット愛媛の立ち上げでは、コンベックスさんは運営事務局という裏方にまわり、幹事企業はすべて地元の企業の方々で構成されている。そして、わずか2か月足らずの短い時間で数十社の加盟企業を募ることに成功し、今回の設立総会まで漕ぎつけた。
たいしたもんだ。
で、僕は全国組織の幹事企業の1社として、今回の総会に出席させていただいたというわけだ。
もちろん他の幹事企業、加盟企業のみなさんも駆け付けた。仙台(エムジョイ菅原社長)、新潟(広報しえん山岸社長)、金沢(JJC夏至社長)、岡山(シーズ平川社長)、そして盟友・就職エージェントの下薗社長も東京からやってきた。
でも僕は、単に総会に出席するためだけにやってきたわけではない。大きなミッションを背負ってやってきたのだ。
それは寸劇の上演(笑)。
先日(9月27日)の東京でのFネットキックオフイベント「キミは、Uターンできるか?」で上演した『ヒロヤスのUターン就職物語』のリバイバル公演を、愛媛の設立総会でもやることになったのだ。
キャストは先日と同じ面々(ヒロヤス=下薗社長、ヒロヤスの父=夏至社長、遠藤工業社長=遠藤社長)だったのだが、ヒロヤスの悪友であるダイスケの役だけは、コンベックスの若手社員が演じることになった。
あらたな気持ちで臨む演劇。脚本家兼演出家の僕の腕のみせどころだったわけである(笑)。
で、本日。
昨夜のうちに、ダイスケ役のコンベックス若手社員にはたっぷり練習をつけたので、設立総会の時間までは余裕があった。
ということで僕は、松山市内の散策に出かけた。
坊ちゃんや夏目漱石に関するところは、すでに行ったことがある。今回は、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の主人公である、秋山兄弟の生家を訪ねることにした。小説を読んだことのある人はご存じだろうが、秋山兄弟の存在なくして、日露戦争での勝利はあり得なかった。日本にとっての隠れた超重要人物だったのだ。
秋山兄弟の生家に行くと、観光客は僕しかいなかったこともあり、職員の方が付きっきりでとても詳しい説明をしてくださった。いやあ、勉強になった。
秋山兄弟の生家訪問の後は、松山城を目指した。
松山城は、山のうえにあるとっても立派なお城だ。標高が150メートルほどあるらしい。
リフトに乗って城門まで登る。そしてさらに15分ほど登ると、眼前には松山城がデーンと広がった。
また、ここからの松山市内の眺めも、最高に良かった。
僕がのんびり観光している間に、総会の時間が迫ってきた。
会場に到着して舞台の準備を進めるなかで、僕はなんと、寸劇の脚本兼演出だけではなく、ナレーターと、照明と、音楽の裏方のすべてを担うことになってしまった。
こりゃハードだ。
しかも、きょうの総会では、地元のメディア(新聞社や放送局)も取材に来ていた(テレビカメラが3台も回っていた!)。
こりゃすごい。
そして総会本番。
役者陣はたいしたもんだ。皆、3週間前よりもさらにレベルアップしていた。またダイスケ役も、昨日の練習のときには不安を感じさせていたものの、本日の本番では完璧な演技を見せてくれた。
地元企業の皆さんからのごあいさつや、コンベックスさんのプレゼン、そして全国組織の会長である新潟の山岸社長のユニークな記念講演をもって、無事、総会は終了した。
そしてその後の地元企業の皆さんとの交流会も楽しい会話のうちに終了。僕ら幹事企業としての役目もすべて終わり、ほんとに「お疲れ様!!」という感じだった。
その後の二次会、三次会のことは、まあ書くまい(手元には証拠写真があるんだけど…、笑)。
※下の写真は、コンベックスの遠藤社長(後列左端)と社員たち。前列中央でVサインをしているのがダイスケ。ダイスケを取り押さえているのがヒロヤスの親父役の金沢JJCの夏至社長である。
さて、これで僕の今回の長い旅はおしまい。あすは久々の東京である。
今回の地方行脚の旅であらためて感じたのであるが、日本はやっぱり美しい。とても素晴らしい国だ。各地それぞれの歴史があり、文化があり、景色があり、食べ物があり、地元を大切にしながら暮らす人々がいる。
僕らはこの日本という国を大切にしながら、後世の人たちにきちんと繋いでいかなければならない。中央中心の政治経済の社会になってしまっているが、日本が日本らしくあるためには、地方が地方らしくあらねばならない。
そんなことを考えた、この一週間の旅であった。
( ↓ 小さくおまけ。「下さん、ちょっとハシャギ過ぎ」の図)