世界経済の中枢を担うニューヨーク金融市場。ここで働いているMさんが、本日、パフを訪ねてくれた。
パフとニューヨーク金融市場。いったいぜんたい何の関係があるのか?
何の関係もありません(笑)。
ニューヨークの市場とパフとは関係ないのだが、Mさんとの関係は大ありなのである。
Mさんと僕が出会ったのは、1998年の春。いまから10年以上も昔になる。
当時Mさんは、設立されたばかりの、未上場企業専門の証券会社(ディーブレイン証券)の立ち上げ業務と、創設されたばかりのグリーンシート市場のルール作りを行っていた。
そして同時に、グリーンシート市場への登録を検討していたパフの担当となり、パフを第五号銘柄の登録企業とすべく、僕と二人三脚で、泥まみれになりながら走り続けてくれた。
一時期は、ほぼ毎日会っていたと思う。そして、パフの資金調達のために、ベンチャーキャピタルをはじめとする金融機関・投資機関の方々のところに、僕と一緒に訪問していた。
そしてパフが創業して3年目(西暦2000年)に、やっと大きなファイナンス(公募増資)を成功させ、5千万円近い資金調達によってパフの財務を安定させてくれた。創業時のパフの、金融面での大恩人である。
Mさんは、パフの公募増資が終了した直後から、MBAを取得するために英語の猛勉強をやり始め、翌年アメリカの大学院に合格。会社を辞め、自費でアメリカに渡った。
そして3年前、無事MBAを取得し、ニューヨークの金融機関に再就職したのだった。
今夜4年ぶりに会って、ゆっくり食事をしたのだが、当時とあまり変わらない。飄々とした男である。
ニューヨークはいま、大変なことになっている。金融の仕事そのものが、大きな変貌を遂げようとしているらしい。その渦中にいるMさん。僕は専門的なことはまったくわからないのだが、それでも激動の毎日を過ごしていることくらいはわかる。
そんななかにあっても、帰国の折に、こうやって(いまの仕事とはまったく無縁の)パフを訪ねてきてくれるというのは嬉しいものだ。
Mさんは、今後ずっとニューヨークで仕事を続けていきたいそうだ。自分の性格には、日本よりもアメリカ(ニューヨーク)のほうが合っているという。
確かにMさんは、日本の金融マンにはいないタイプなのだが、あの朴訥(ぼくとつ)さは、ニューヨークっていう感じでもないんだけど、まあ、本人が合うっていうんだからいいか(笑)。
いずれにしろMさんには、(100年に一度あるかどうかの)金融界のピンチを絶好のチャンスとしてとらえ、もっともっとビッグな男になってもらいたいものだ。
Mさん、がんばれよ!