実はいま、鹿児島空港でこの日記を書いている。
ん、鹿児島? どうしてだ??
・・・と思う方がいるかもしれないが、計画通りの行動だ。今回の、福岡・熊本行きが決まったときから、鹿児島まで足をのばそうと企てていた。
僕は九州出身なのだが、鹿児島本土に足を運んだことは今まで一度もなかった。昔、家族で与論島に行ったことはあるのだが、与論島は鹿児島というよりも「沖縄のうえ」という感じなので。
鹿児島行きの目的はただひとつ。
- 知覧(特攻平和会館)を見ること -
だった。
今朝、熊本のホテルで食事を済ませた後、JR熊本駅に向かった。
特急電車で、熊本から新八代に行く。そして新八代から鹿児島までは、九州新幹線が開通している。一時間ちょっとで到着するのだ。新幹線は偉大である。
が、しかし!
熊本駅について唖然とした。
折からの大雨で、ダイヤが大幅に乱れている。みどりの窓口は大混雑だ。
窓口の行列に並ぶのも大変なので、自動券売機をみつけて、そこで鹿児島までの切符を買うことにした。
ところが!
券売機の画面に出てくるのは、午後の特急ばかり。まだ午前10時なのになぜだ?
構内アナウンスに耳を傾けてみると、福岡からの列車がほぼすべてストップしているのだという。ありゃりゃ。
結局、一時間ほど待って、熊本始発の普通列車に乗って新八代まで行き、ようやく新幹線に乗ることができた。
新幹線に乗ってビックリ。車内がガラガラなのだ。
なるほど。福岡からの列車はストップしているわけだから、僕のような熊本以西から来た乗客しかいないわけだ。
予定の時間をずいぶんと上回ったが、午後1時過ぎにやっと鹿児島に着いた。
鹿児島もやっぱり大雨。桜島が見えるかなと期待したが、輪郭すら見えない。まあ、しょうがない。
そして目的地である知覧へ。次の観光バスまで一時間ほど待たなければならなかったので、タクシーを使うことにした。
しかし、ここでまた事件。
事故があったらしく道路が大渋滞していたのだ。事故は、この大雨のせいだったのかもしれない……。
結局、知覧に着いたのは、午後3時だった。当初の計画よりも3時間ほどの遅れだ。
僕は急ぎ、特攻平和会館に入った。
ちなみに、知覧特攻平和会館のことをご存じない方のために、以下パンフレットに書かれている内容を転載する。
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この知覧特攻平和会館は、大東亜戦争末期(戦後は太平洋戦争ともいう。)の沖縄決戦で、人類史上類のない爆装した飛行機もろとも肉弾となり敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示して当時の真情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与するものです。
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展示コーナーには、1,036柱の隊員の遺影や遺書が展示されていた。隊員の年齢は20歳前後である。僕らのイベントに参加している大学生たちと同年代である。中には教育係などを兼ねて死んでいった30歳前後の少佐格の軍人もいた。
遺書の多くは両親や弟、妹に宛てられたものだった。妻や幼い子供たちに向けた遺書もあった。全体の10分の1も見ていないのに、すでに僕の目には涙が溢れてしまっていた。
若くして死んでいったこの隊員たちの行動を無駄にしてはならない。どんなことがあっても平和を守らなければならない。戦争の悲劇を二度と繰り返してはならない。月並みかもしれないが、このようなことを、ほんの数十分の時間で痛切に思うに至った。
知覧のことはまた改めて書いてみたい。多くの若者たちに(うちの社員たちも含めて)、ぜひこの特攻隊員の遺書を読ませてやりたい。自分の悩みがいかに小さなものか。いまの時代がいかに恵まれたものであるか。わがままな自分と贅沢な時代に、きっと気づくことであろう。
そしていま。知覧の見学を終え、タクシーと高速バスを乗り継いで鹿児島空港に着いたというわけだ。
金曜、土曜、日曜の九州で過ごした3日間。実に密度の濃い時を過ごした。記録的な大雨の中、移動した距離も半端じゃない。でもそれだけに記憶にも残るんだろうな、きっと……。