釘さん日記

閑谷学校で学んだ日

きょうは、オヤジ研修の一日目。

オヤジ研修とは、その名の通り、オヤジたちの研修である。もう半年以上も前から企画していた。

起案者は、パフの創業前からお付き合いのあるO社のI常務。それとO社の得意先であるA社のU部長。さらに、つい先日の日記にも登場したばかりのパフ顧問の國さん

半年前、この3人が会食しているときにオヤジ研修が発案された。この場にいなかった僕までもが、なぜかメンバーに組み込まれていたのだ。

I常務56歳、U部長50歳、國さんと僕は(もうすぐ)49歳。立派なオヤジたちだ。

研修では、日頃のビジネスからは少し距離を置き、違った環境に身を置いて、気づきと学びを得ようということになった。

その結果、選ばれた場所は、岡山県。岡山は、國さんが生まれ育ったところでもあるのだ。

 

早朝の飛行機で、國さんと僕は羽田から岡山空港に向かった。

空港で、前泊していたI常務とU部長と待ち合わせ。I常務の運転するクルマで、向かったのは閑谷学校である。閑谷学校というのは、江戸時代に建てられた、岡山藩直営の、庶民教育のための学校である。講堂は国宝にも指定されている由緒正しい建物だ。

 

 

 

いやー、学んだ学んだ。

やっぱり先人たちは偉い!

閑谷学校を創設した当時の備前(岡山)藩主池田光政は、人づくり・国づくりのためには、孔子の教えの儒学に学ぶことが大切だと考えたという。しかも教育は、武士だけではなく、広く庶民に対しても行わなければならないと考えた。だから藩校だけではなく、この閑谷学校が建てられたのだ。

この閑谷学校では日々、子どもたちの論語を朗誦する声が響いていたという。

そこで4人のオヤジたちも、論語の教科書を買い、論語を読むことにしたのだ。やっぱり論語には、人としての生き方の原点があるな。もういちど学び直そう。

 

 

閑谷学校での勉学を終えたオヤジたちが次に向かったのは國貞邸。つまり、國さんが生まれ育ったご実家だ。現在は、お母様が一人で暮らしてらっしゃる。

國貞邸はなんと、閑谷学校からクルマで10分足らずのところにあった。國さんが小さなころから勉学に励んでいたのは、この閑谷学校の影響も少なからずあったんだろうな。

國貞邸では、お母様手作りの料理をご馳走になった。ご自宅の畑で採れた野菜をベースにした料理。最高のご馳走で、遠慮もせず、たくさん食べてしまった。

(写真を撮られるのが苦手というお母様を説得しての國さんとの3ショットです)

國貞邸でしばし寛がせていただき、次に向かったのが倉敷。同じ岡山県とはいえども、倉敷は結構離れている。

クルマで約2時間。途中、美しい瀬戸内海の景色を眺めながら、移動した。

 

 

 

倉敷に着いたのは、すでに宵闇迫るころ。

オヤジたちは、せっかくなのでということで、美観地区の散策を行った。

写真では暗くて分からないかもしれないが、倉敷は、情緒あふれる街だ。素晴らしい。100年くらいタイムスリップした感覚だ。

上の写真は、かの有名な大原美術館である。ライトアップされた建物が、なんともいえず美しい。

翌日、この美術館に入って、絵画の数々を目にするわけだが、もう感動モノであった。

 

 

そして夜。JR倉敷駅の近くの料理屋さんで食事をする。

ここには特別ゲストをお迎えした。A社のU部長の高校時代(U部長の出身高校は長崎県なのである)の親友であり、現在は倉敷でお寺の住職を務めながらも、商工会議所青年部の会長を務めておられるという異色のオヤジなのだった。

我々オヤジたちは、この異色なオヤジ住職の話にも感動したのだが、何より感動したのは、下の写真の「赤霧島」(芋焼酎)。普通の店ではまず置いていない逸品である。この店のメニューにも書いてはおらず、特別な人だけが飲めるという。

 

 

このあと数時間、様々なオヤジたちの談義が続いたのだが、この日記には書けないことだらけなので残念ながら自主カットしよう。

それにしても、素晴らしく充実した、オヤジ研修第1日目だった。

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