釘さん日記

九州まで南下した日

朝の新幹線で大阪へ。

上の写真は、新幹線の窓から見えた富士山。我がふるさとニッポンだ。

 

大阪では2件の打ち合わせ。

2件ともおおっぴらに公表できない内容なのだが、今後の僕の生き方を左右するものになるかもしれない。

それにしても大阪は寒かったなあ。同時にとても懐かしかった。

御堂筋、四ツ橋筋を15分ほど歩いたのだが、3年ほど前は、ここら辺をチャリンコで回っていた。パフにはその昔、大阪にも事務所があったのだ。当時は僕も、2週間に1回は大阪に出張していた。とても独特な街だよな。

 

打ち合わせの後、新大阪駅へ。そして向かったのは東京ではなく博多。

明日は土曜日なのだが、Fネット加盟会社でもあるネオ倶楽部(就職エージェント九州)さん主催のイベント『ライブin九州』が中洲のホテルで開催されるので、その陣中見舞いに行こうと思ったのだ。

博多に着いた後、すぐにホテルにチェックイン。博多は大阪以上に寒かった。南下してきたのに、なんだか北国にきたような感じだ。

せっかく博多まできたのに、このままひとりホテルで夜を過ごすのはもったいない。博多には小学校時代の友だち(小2、小5、小6の同級生で、旧姓オーハタさんという)が住んでいる。いまや大学生の娘と高校生の息子を持つお母さんなのだが、久々に一献やろう!ということになった。

そして向かったのは天神だ。

オーハタさんとの一献。短い時間だったけど楽しかったな。話をしていると、40年もの昔の(僕らが10歳前後のときの)断片的だったあの日の記憶が徐々に蘇ってくる。

最初沖縄料理の店で空腹を満たしたのち、迷わず近くのカラオケへ。「我々が小学生時代に流行っていた唄を歌おう!」ということになったのだ。

1960年代後半から1970年代にかけての唄を中心に、紅白歌合戦を繰り広げた。

グループザウンズ(タイガースやテンプターズ)、荒井由美だったころのユーミン、初期の松山千春、それからまさかの桜田淳子!

そして極めつけは、青い三角定規の「太陽がくれた季節」。僕らが小学5年生だったころ放映されていた青春ドラマの主題歌だ。

やっぱり同級生とのカラオケは楽しいな。1960年代から1970年代。同じ学び舎で勉強し、遊び、恋し、悩み、笑い、泣き、喧嘩し、(先生から)怒られた仲間である。

オーハタさん、今夜はどうもありがとう!記念に写真載せとくよ。

 
  

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