「宇宙戦艦ヤマト」は、1974年(僕が中学2年生のとき)に、毎週日曜日の夜に放映されていたテレビアニメである。僕は毎週欠かさず観ていた。大ファンと言っても過言ではない。
このファン度が最大限に高まったのが、1978年(高校3年生のとき)の夏休みである。「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」というタイトルで、テレビの続編が劇場用の映画として放映されたのだ。
この映画には大きな衝撃を受けた。いまでもよく覚えている。
土曜日の夜だった。友だちと二人で、晩飯を食べた後、チャリンコで大分市内の映画館に観に行った。その日はオールナイトで上映されていたのだった。
ヤマトの何百倍もの大きさの白色彗星帝国(超巨大戦艦)に艦長の古代進が操縦するヤマトが突っ込んだ。そして古代進やヤマトの命と引き換えに、地球は救われた。その他のヤマトの主だった乗員たちも皆、死んでしまった。古代進の愛した女性・森雪(もりゆき)の死にゆく顔が、なんと美しかったことか。
ヤマトが彗星帝国に吸い込まれるように消え、一筋の閃光とともに大爆発が起きる。そしてエンディングでは、沢田研二(ジュリー)が歌う、「ヤマトより愛を込めて」(作詞:阿久悠/作曲:大野克夫/編曲:宮川泰)が静かに流れる。
気がつけば僕の目からは涙があふれでていた。いっしょに行った友だちも同様だった。
劇場内が明るくなっても、ショックと感動のあまり、しばらく立ち上がることができなかった。友だちと目を見合わせ、頷きあった。そしてその場で、次回の上映を連続してもういちど観たのだった。すでに午前零時を回っていた。
二回目が終わって映画館を出た時には、夜が白んでいた。下宿に帰ってから、ヤマトの乗組員たちの死を悼んで、友だちと酒を酌み交わした。アニメの登場人物のために追悼の酒を飲むなんて、このときが最初で最後である。
だから僕にとっての「宇宙戦艦ヤマト」は、この高校3年生の夏で終わったのである。
が、しかし!
翌年、なぜか宇宙戦艦ヤマトは「何事もなかったかのように」蘇った。死んだはずの乗組員たちもピンピンしていた。「これが最後のヤマトの映画です」と言っていたのはなんだったんだ?
いろんな大人の事情があったのは分かる。だから、僕はその後、一切の新作ヤマトのテレビや映画を無視し続けた。だって、自分のなかのヤマトと乗組員たちは、地球と愛する人たちを守るために、あの1978年の夏に死んだのだから。
が、その封印を、本日(約30年の歳月を経て)解いてしまった。
先週から上映が始まった『宇宙戦艦ヤマト復活篇』を、さんざん迷った挙句、観にいってしまったのだ。
そう、あくまで「観てしまった」なのだ。
感想はあえて書かない。
やっぱり自分のなかのヤマトと乗組員たちは、1978年、僕がもっとも多感だった18歳の夏に、地球と愛する人たちのために死んだということだけを再確認することにしよう。