昨日、仕事の打ち合わせで、僕の母校である明治学院大学(港区白金台)に伺った(母校なので「伺った」っていう敬語もなんだかヘンだな)。
3月中旬。気候も穏やかで、ふと30年前(1980年)のいまごろを思い出した。
僕はひとりで、この明治学院大学本館の事務窓口に行き、入学手続きを行なったのだった。
なんだかよく覚えてるなあ……。
だって、浪人時代に夜勤(駅弁製造)のバイトで働いて貯めたすべてのお金を、初年度納付金(入学金や授業料など)として持って行ったんだもの。忘れられないさ。30万円くらいだったかなぁ…。ほかの大学に比べると格段に安かったのだけど、当時の19歳の若造にとっては、とんでもない大金だった。
実は他にも合格していた大学があったんだけど(心のどこかでは、そっちの大学を選びたい自分がいたんだけど)、この納付金を、この日自分で払ったことで、その迷いを断ち切ることができた。手続きが済んだ瞬間、「これで自分の浪人生活は終わったんだ」という安堵感と、ちょっとした寂しさみたいなものが入り混じった複雑な心境になったことを覚えている。
あれからちょうど30年だ。
そっかー。長かったようで、あっという間だったなあ。
30年経った今も僕は、この母校にとてもお世話になっている。僕やパフが今、このような姿で存在できているのは、我が母校、明治学院大学のおかげであるといっても過言ではない。
昨日も、さらなるご協力のお願いのための打ち合わせだった。職員の皆さんは僕たちに、いつもとても温かく好意的だ。今回も、(普通ならありえない)無理なお願いを聞いていただけそうだ。本当にありがたいことだ。
僕は30年前の入学直後、学内の奨学金の試験に受かって授業料が免除されている(つまり、いったん払ったお金が戻って来た)。在学中も、ゼミの教授や学生課の職員をはじめ、いろんな方々にお世話になった。卒業に必要な単位も3年間ですべてもらった。おかげで4年次は(社会人のふりをして)心おきなく働くことが出来た。
在学中もさんざんお世話になり、パフを創ってからもさんざんお世話になっている。ここまでお世話になっているOBも珍しいのではないだろうか。
事業が成功して裕福になったら(なるんだろうか)、何か寄贈しないといけないなあ……。
音楽ホールとか。図書館とか。
まあ、そんなに裕福にならなかったとしても、僕が大昔に書いた本なら10冊くらいはプレゼントできそうだな。
ともあれ、今年は大学入学30周年の年。あらためて母校に感謝!!なのである。