きょうの日記のタイトルは、僕が先日、twitterでつぶやいた言葉、そのまんまだ。
きょう夜遅く、残業している社員の隣の席で息抜きをしていた。
社員の席には、某ナビサイトのシステム機能を詳しく解説した冊子が置かれていた。
何気なくパラパラと目を通していた。
へー、こりゃすごいや。隔世の感がある。
僕が15年前に、就職ナビのはしりとなったWebを立ち上げたころと比べると、その機能の充実ぶり、進化ぶりには、目を見張るものがある。恐れ入りました、という感じだ。
便利になったというよりも、効率的になった。いや、功利的になった。いや、ずる賢くなった。いや、狡猾になった。
おっとっと……。これ以上言うと、またあらぬ方面からクレームが来そうなので、このくらいにしておくか(苦笑)。
「昔っから、就職情報業界ってこうだったんですか?」
と、純粋な若手社員が聞いてくるので、
「うん、そうだよ。昔はもっと露骨だったよ」
と、僕が27年前、紙の分厚い就職情報誌を営業していたころを思い浮かべて答えた。
昔の就職情報誌は、キレイに大学のランク(偏差値)別に、本の種類と掲載企業が分かれており、自分はどの企業から求められており、どの企業からは求められていないというのが、はっきりしていた。
ただ、昔はたしかに露骨だったけど、多くの学生はそんなこと分かっていたから、(悔しさはあっても)別に騒ぎもしないし、問題にもならなかった。自分のことを必要としてくれる会社は、(重厚長大の大企業ではないかもしれないが)ちゃんとあるわけで、そこで思う存分頑張ればいいと思っていた。
そんなわけで、人気企業といっても、いまみたいに無駄に多くの学生が殺到したわけでもなかったので、それなりに平和な就職と採用のシステムだったのだ。
ところがいまは、就職情報会社も、(特に有名大手の)企業も、世間が騒ぐのを怖がって、厳選採用やターゲット採用の仕組みを公言しようとしない。
でも、この仕組みを後で知った若者は、どう思うんだろうね。なにより、使う(作る・売る・買う)大人側は、胸が痛まないのかな。
誤解のないように言っておくが、僕はこのような(Webで学生を選別&排除する)仕組みやシステムがすべて悪いと言っているわけではない。ナビは、まだなんだかんだ言って、採用のツールとして欠かせない道具なので、効率よく学生を選別できる機能というのは必要なときもある。
でも、そのことをコソコソとやる必要はないだろうと思うのだ。コソコソとやるから、ずる賢いとか狡猾だとか言われるわけで、堂々とやればいいのだ。
正当な理由や、それなりの根拠があって使っているわけなのだから、罪の意識など感じる必要はない。
隠すから罪なのだ。隠すから、若者が失望するのだ。隠すから、若者は騙されたと思うのだ。
隠すから(学生は騙されてしまうから)、少数の大手企業に、ターゲットではない大量の学生が応募するのだ。
その結果、無残な落とされ方をする学生が量産されるのだ。
挙句の果てには、「自分は社会から必要とされない人間なんだ」と多くの学生が被害妄想に陥り、やる気を失い、社会に羽ばたく前に、その翼を閉じてしまう。
ここに、我々は大いなる罪の意識を感じなければならない。・・・だよね?
もう一回、大きな声で言いましょう。
新卒者採用が、若者を騙したり、若者の将来を失望させたりするものであってはならない とね。