釘さん日記

上海で必要なことは“勇気”なのであった(1)

上海から帰って来た。九州の実家への帰省も含めると、まるまる一週間、東京を離れていたことになる。

上海ではなんと、「釘さん日記」は規制対象になっており、アクセスすることができなかった。中国政府に、 「釘さん日記」は有害サイトである、と認識されているのかな(苦笑)。

おかげで日記の更新がまったくできなかった訳なのだが、皮肉なもので日記ネタには事欠かない毎日だった。

そこで、本日から何日かに分けて、「釘さん上海珍道中日記」を(思い出しながら)書き残しておこうと思う。

 

そもそも今回なぜ、僕が上海に行くことになったのか?

それは、いまから3カ月前。6月25日の夜に遡る。

その日の夜のことを書いた日記がこれ⇒ http://puff.weblogs.jp/kugi/2010/06/weekend.html

該当する部分を以下にコピペする。

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一方で、足をジンジンさせながら臨んだ昨夜の情報交換会は、実に楽しかった。

パフに入社するはずが、なぜか寸前のところでリクルートに入社してしまったダイサクが、長崎から出張で東京に出てきた。また5年ほど前、某コンサル会社からリクルートに転職してきて、その直後、パフに飛び込み営業したうえに、パフをリクナビに載せてしまった元HRの営業マン・オゴウくんも勉強会で(現在の赴任地である宮崎から)東京にやってきた。さらには、僕といっしょに神田の街でリクルートブックのドブ板営業を27年前にやっていたムライ氏も、南アフリカから戻って来た。

せっかく皆が東京にいるんだったら、まとめて情報交換やっちゃおう!ということで、有楽町の料理屋に集合した。若手とオヤジとが語り合う会となったわけだが、とても有意義な議論で盛り上がった。最後は、皆で上海に行こう!ということになった。僕は、井上陽水の「なぜか上海」をアカペラで歌いだすし(苦笑)。

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これが酒の席の話に終わらなかったのには理由がある。それは、上海万博である。僕は40年前の大阪万博に行きたくて行きたくてしょうがなかったのだが、結局行くことができなかった。

現在、行われている上海万博は、かつての大阪万博にとても似た雰囲気を感じる。40年前、日本で果たせなかった夢を、上海で果たしたいと強く思うようになったのである。

そして正式に上海行きが決まった日(7月13日だった)、僕はこんな日記を書いている。

「40年前の叶えられなかった夢が、叶うかもしれないと感じられた日」⇒ http://puff.weblogs.jp/kugi/2010/07/40years_ago.html

それにしても、僕の夢の実現に付き合ってくれたダイサクとオゴウさんも、たいしたものである。現在、ダイサクは長崎で、オゴウさんは宮崎で、同じ情報誌(ゼクシィ)の仕事をしているのだが、なんだかとても縁の深い二人なのだ。

9月23日のお昼に、オゴウさん、ダイサク、僕の3人が集合し、珍道中の幕が開けられたのだった。(つづく)

 

※日記タイトルの「上海で必要なことは“勇気”なのであった」は、僕が今回の上海で学んだイチバンのことです。意味は明日以降の日記のなかで明らかにします^^;

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