釘さん日記

人の縁ってスゴイなあと実感した日

まずは昨日の日記に書いたクイズの答え。

ここから撮った写真でした。

 

分かるかな?

そう、銀座を象徴する「和光の時計塔」なのである。僕ら田舎者にとっては東京タワーと並ぶ東京の象徴といってもいい。この時計塔の最上階から撮った写真だったのだ。

「東京タワーと並ぶ」と書いたが、ある意味、東京タワーよりも和光の時計塔は、価値のある建物なのである。

現在の時計塔は二代目なのだが、初代の時計塔は明治27年(1894年)に完成したというから、120年近い歴史を有していることになる。現在の時計塔でも昭和7年(1932年)の竣工なので、僕よりも28歳先輩。東京タワーよりも26年先輩なのだ。映画「ALWAYS三丁目の夕日」でも、和光の時計塔が優雅に、かつ雄々しく映し出されていた。

この時計塔、一般の人間はもちろん登れない。

ところが、僕らは昨日、特別に登らせていただけた。その理由はまだ明かせないが、おそらく年末くらいには明らかにできると思うので、そのときまた。

いやー、それにしても、まさか和光の時計塔に登れるだなんて。感動したなあ。ツチダくん(パフの男組)のおかげです。感謝!!

 

昨日の夜は、もうひとつ感動的な出会いがあった。知る人ぞ知る、ライフネット生命の出口社長だ。同社は戦後初の独立系(大手生保会社を親会社としない)保険会社として事業認可された、いわばベンチャー企業である。事業スタートからまだ2年しか経っていない。出口社長は大手生保の社員だった時代から生保業界の有名人だったのだが、ライフネット生命を立ち上げたことで、さらにその名声を轟かせた方である。

ちゃんと説明しようとすると、とても長くなってしまうのだが、縁あって出口社長とお近づきになることができた。その縁というのは、同社の総務部長と僕とが旧知の仲だったことに端を発する。ずっとご無沙汰しており、消息がわからずにいたのだが、つい数ヶ月前にtwitterを通じて再会した。そしてその日すぐにお会いし、ライフネット生命に転職していたことが分かったのだった。それからとんとん拍子で話が進み、パフの社員とパートナー会社の社員向けに、出口社長の講演会を実施することが決まり、昨夜の(講演会のお礼を兼ねての)食事会が実現したのだった。

出口社長は、僕よりちょうど一回り先輩。同じ、ねずみ年なのだ。とても、ざっくばらんで竹を割ったような性格の出口社長。難しく複雑な話を、とても分かりやすく、シャープに論じてくださる。僕らは、スッキリさわやかだったのだ。

カッコつけず、偉ぶらず、物腰も柔らかく、でも、悪いものは悪いと、ずばずばとハッキリとした物言いをする。発想は柔軟で、視点と志はものすごく高い。

スゴイ人と(偶然が生んだ縁とはいえ)お近づきになれて、ホントに幸運、光栄だった。

 

そして本日も、幸運、光栄な再会があった。

「五つの赤い風船」のことをご存じだろうか。西岡たかしが1960年代後半から1970年代前半にかけて率いていたフォークグループである。名曲を多数生み出したが、特に有名な曲は、「遠い世界に」である。50代、60代前半の人で知らない人は誰もいないんじゃないかな。

この「五つの赤い風船」(2000年に再結成)で現在ボーカルを務めている方(青木まりこさん)と、15年ほど前に六本木のライブハウスで知り合った。共通の知人から紹介してもらい親しくお喋りするようになった。ただ僕が会社を創ってからは多忙な時が続き疎遠になってしまった。この間、青木まりこさんは五つの赤い風船の再結成に加わり、テレビにもちょくちょく出演することになり、ますます遠い人になってしまった。

ところが本日、この青木まりこさんから、「歌手デビューおめでとうございます」というメッセージが(twitter上で)届き、まさかの再会となったのだ。いやあ、twitterさん、なかなかやってくれるなあ。

でも「歌手デビューおめでとうございます」(僕のtwitter上のプロフィールには、確かに「2008年に歌手デビュー」と書いてしまっている)という誤解は、ちゃんと解かなきゃな(苦笑)。

11月下旬には、あの「ザ・フォーク・クルセダーズ」の北山修氏とジョイントコンサートを開くとのこと。北山修氏が作った唄(たとえば「戦争を知らない子供たち」とか)は、11月13日の僕のコンサートでも歌う予定だ。これはぜひ観にいかなきゃだな。

 

ということで、人の縁って実にスゴイし、貴重だし、ワクワクものなのだということを、あらためて実感した日々なのであった。

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