釘さん日記

カンニングをしたことを思い出した日

ネットを使ってカンニングを行なった予備校生が『逮捕』されたという。カンニング行為そのものは卑怯な行為であるし、何らかのペナルティが必要であるのは確かだが、将来のある19歳の少年を『逮捕』し、それをマスコミが大々的に報道し、大人たちが大騒ぎしているのには、どうも違和感がある。

僕も高校2年生のとき(確かあれは二学期の中間試験だったかな)、カンニングをして、試験官(まさに物理の先生が試験官だった)に見つかったことがある。

そのときのことを、きょうの日記では書こう。

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僕が通っていた高校は進学校ということもあり、勉強のレベルが高く、先生たちの指導もとても厳しかった。おまけに、僕は(何を間違ったか)理数系に進んでおり、苦手科目である物理や化学に苦しめられていた。特に物理の公式が暗記できずに、お手上げの状態だった。

でも、試験で一定の点数を取らないと進級できない。これはヤバイ!とマジメに追い込まれていた。

試験当日。出題されるであろう問題(ヤマを張ったんですね)を解くための長ったらしい公式を、机に鉛筆で書いておいた。

ズバリそのヤマは的中。僕は嬉々として、机に書いておいた公式を使いながら、スラスラと問題を解いていた。

問題を解き終わったとき、人の気配を感じた。

ふと見上げると、そこには、試験官である物理の先生の顔が!!

しかも先生は、(きっと恐怖に満ちていたであろう)僕の顔をみて、ニコッと微笑んでいる。

万事休す。すべてが終わったと思った。停学処分。留年確定。下手をすると退学処分になるかもとさえ思った。

しかし、先生は何事もなかったかのように僕の脇を通り過ぎていった。つまり、見て見ぬふりをしたのだ。カンニングの現場を押さえたのに、なぜ許してくれたのか、訳が分からなかった。

その翌週から、先生の「愛ある指導」が激しく始まった。

理数系のクラスだったので、週に2~3回は物理の授業があったのだが、毎回毎回、先生はニコニコしながら、必ず僕を指すのだ。「はい、クギサキ、この問題を解いてみて」「はい、じゃ、クギサキ、教科書の続き読んでみて」「はい、じゃクギサキ、前に出て、これ証明してみて」という感じで。

先生のニコニコ顔には、 「おい、クギサキ、なんで俺が毎回おまえのことを指してるか、分かってるよな!」 というメッセージが込められていた。そして指された僕は、 「はい、先生分かってます。その節はカンニングをしてしまい、申し訳ありませんでした。これからは、ちゃんと勉強します」 という懺悔と感謝の気持ちを表明するためにも、必死に指された質問に毎回、回答していた。

そして成績は悪かったなりにも、最後には及第点をもらい、無事、進級することが出来たのだった。むろん、以来、カンニングは一度もやったことがない。

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以上が僕のカンニングの思い出話である。

もし、あのとき先生がカンニングを通報していたら、僕は間違いなく停学処分を受けていた。高校を三年で卒業することもできなかったと思う。きっと、いまの僕はなかったのではないかとも思う。物理の先生の偉大さ、寛大さには、30数年経った今でも頭が下がる。

大人が子供の不正や至らなさに遭遇した時、どのように向き合うのか。その子供を処罰することは簡単だ。しかし、その子供を、どのように立ち直らせるのか。どのように育てていくのか。そこまで考えた向き合い方を、大人たちには望みたいものだ。

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