釘さん日記

深夜の報告に安堵した日

僕の大学時代の先輩Hさん(僕が1年生のときの3年生)は、気仙沼市の出身。大学卒業後、海のすぐそばの実家に戻り、家業を継いでいた。

僕は、震災の日以降、気仙沼の惨状がテレビに映し出される度に先輩のことばかり考えていた。H先輩と極親しい関係にあった別の先輩や後輩たちが何度も連絡をとっていたのだが、ご自宅はもちろん、ご本人の携帯電話につながることはなかった。僕はそのことを聞き、(もちろん口には出せなかったが)なかば諦めかけていた。

ところが昨夜(深夜11時過ぎ)、ひとりの後輩がダメ元でHさんの携帯に電話を入れてみた。すると、なんとそのHさんご本人が電話に出たとのこと。ご無事だったのだ。よかった……。

H先輩は、まさに震災の日に東京に来ており、間一髪、難を逃れたのだという。

しかし、あまりのショックで外部との接触を一切断っていたらしい。地元にいるご家族や周囲の人のことを思えば当然のことだろう。僕等が安易に想像することのできない(想像することさえ失礼かもしれない)複雑な心境であったのだろう。

H先輩は、田舎者の僕が都会に馴染めずにいるときに、(同じ田舎者として)毎晩のように下宿に招いてくださり、話し相手になってくれた方である。卒業後、1、2回お会いしただけで、もう30年近くご無沙汰しているのだが、こういうときこそ、31年前にいただいたご恩をお返ししたい。

ともかくも、ご無事でよかった。生きてさえいれば何とかなる。希望を持とう!!

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