いったい、いつまで続くんだろう…と、自分でも不安になりながら今朝も執筆を続けます(´・_・`)。
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他にも断片的ではあるが、いろいろと覚えている幼稚園時代の出来事がある。
●当時、住んでいた家には風呂がなく、大きな共同温泉(都会でいう銭湯)に通っていた。しかも女湯に(!)。男女の下半身の造りの違いをいつも不思議に感じていた。
●普段は旅館の仕事で滅多に家にいることのない父親が、その夜は珍しく家にいて、僕の隣で寝てくれた。落語の小噺を面白おかしく喋ってくれた。なんだかとても嬉しくて幸せな気持ちだった。
●七夕の日(7月7日)、幼稚園ではひとりひとりに小さな笹が配られた。色紙をはさみで切って作った短冊に願い事をたくさん書いて、その笹に括り付けた。その笹は各自家に持って帰って親に見せることになっていた。しかし家に着いた時には、括り付けたはずの短冊はひとつも笹に残っていなかった。実は、人吉地方はこの日午後から大雨。笹の短冊は、帰り道に雨に打たれ、すべて流されてしまっていたのだった。当然、家で大泣きして母親を困らせた。
●当時、幼稚園には毎日お弁当を持って行っていた。ジャングル大帝のイラストが施された、お気に入りのお弁当箱だった。うちの母親の作る弁当は美味しかった。しかし、その日の弁当だけは、なぜかとても不味かった。理由は分からないが、びっくりするくらいに不味かった。全部食べることができず残してしまった。先生から怒られた。僕は悲しくて大泣きした。先生から怒られたからではない。いつもは美味しいはずの弁当が、食べられないくらいに不味かったことが悲しかった。弁当に残ったおかずやご飯を母親に見せてはいけないと思い、帰り道、川に捨ててしまった。
●夏休みに、家族みんなで旅行をした。(たぶん)生まれて初めて動物園に連れて行ってもらった。ライオンやトラやキリンの実物を見て、感動した。それ以上に、家族みんなで一緒に出掛けられたことが、とても嬉しかった。
●休みの日、朝から一人で留守番をしていた。夕方になっても誰も帰ってこなかった。大泣きした。暗くなってやっと母親が帰ってきた。腹ペコだった。肉なしカレーライスを作ってもらった。不味かったけど幸せだった。
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これらは、1966年4月から11月までの、約8か月の出来事。正確かどうかは分からないが、50年近く僕の記憶の中に生き残っていた他愛もない出来事の欠片である。
さて、人吉(熊本県)の幼稚園時代の話はこれくらいにして、次回からは湯布院(大分県)に移り住んでからの話を書いてみたいと思う。
(懲りずに続く)