釘さん日記

新卒採用のために昔のコラムを掘り起こしてみよう(2)

本日のコラムは、昨日転載のコラム(『道』を教えんで、どげえするんか?)のちょうど一年後に書いたコラム。

ああ、このころ、キリンとサントリーが経営統合しようとしてたんですね。

なるほど。

そこから薩長同盟にもっていくとは、なかなかセンスあるじゃんか。と、我ながら思ったコラムです。

では、どうぞご覧ください!

 

第36回 器を大きくせんで、どげえするんか? 【2010年2 月10日 (水)】

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 【01】釘崎の「どげえするんか?」

    第36回 器を大きくせんで、どげえするんか?

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  パフ代表釘崎が、現在の採用市場、就職活動、世の中のあれこれについて、 日々感じることを徒然なるままにお届けします。

  ※「どげえするんか?」=大分弁で「どうするんだ? どうしたいんだ?」
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昨日(2月8日)、キリンとサントリーの経営統合が破談になったというニュースが流れました。

このニュースを聞いての私の率直な感想は、「残念!」と「所詮そんなもんかい」という二種類ものでした。

「残念!」というのは、やっぱり何かが変わることを期待してたんですよね。
文化がまったくことなるこの2大飲料メーカーが統合するというのは、それだけで大きな変化を生み出すパワーや潮流の源になると感じていました。

あちらこちらで閉塞感が漂う日本に、最大級の刺激を与えるものであると思っていました。

「所詮そんなもんかい」というのは、まあなんというか、誤解を恐れずに言うならば、日本を代表する大企業といえども、やっぱり小物たちの集合体に過ぎなかったか……。という諦めに似た感想です。思いっきり生意気で、斜に構えた感想ですね。

そりゃあ、統合によって乗り越えなければならない高い壁があったり、捨てなければならないことがあったり、とはいえ、守り続けなければならないことがあったり。様々な利害の調整があったことは想像に難くありません。

でも、そんな壁の高さや調整の難しさは、最初から分かっていたこと。それを乗り越えてでも掴みたいもの、生み出したい新しい価値があったんじゃないの?だからこそ、統合を決断したんじゃなかったのかい?

なあんて思ったりします。

 ☆☆☆

昨年、この統合のニュースを聞いて思い浮かべたことが、幕末の薩長同盟の快挙です。

犬猿の仲であった薩摩藩と長州藩とが、個人的な憎しみや、わだかまりや、プライドや面子といったものを捨てて、「日本の将来のため」という一点に集中して、この同盟を交わしました。

この同盟の締結に大きな役割を果たしたのが、土佐藩の坂本龍馬であったと言われています。

互いに牽制し合い、なかなか同盟の話を切り出そうとしない西郷隆盛と桂小五郎(木戸孝允)。坂本龍馬は、(ことの経緯上)まずは頭を下げて同盟を申し入れるべくは薩摩藩ではないか、と、次のような言葉で西郷隆盛に迫ったと言います。

 「西郷さん、桂はワシにこう言いよりました。『長州藩が滅亡すれども薩摩がその後を継いでくれれば本望である』と。」

 「桂もこれだけ日本のことを考えとるがぜよ。西郷さん、ここはお互いの面子を捨てて、薩摩から長州に同盟を申し込んでくれんか。」

 「これは長州藩のために頼むがじゃない。今後の日本の将来を考えてのことぜよ!!」

この言葉に心を動かされた西郷隆盛は、龍馬の勧めどおり長州藩に頭を下げたことで、一気に薩長同盟は締結されることになります。

そしてこの薩長同盟により、300年近く続いた徳川幕府は倒れ、明治維新による近代日本の幕開けが訪れることになります。 

 ☆☆☆

キリンとサントリーの統合交渉において、桂小五郎や西郷隆盛や坂本龍馬のような、高い視点でものごとを判断できる大きな器量の持ち主がいたならば、状況は大きく変わっていただろうにと、つくづく残念に思うわけです。

そう、器量。器(うつわ)の大きさなんですよね。

器の大きな人間に憧れつつも、大きな器を持てなくなってしまった日本人。
とかく自分自身の面子にばかり拘る小物サラリーマン。自社の損得だけでしか物事を語れない小物経営者。自国の人々の繁栄を願うのではなく、自分の党の繁栄や保身に多くの時間を費やしている小物政治家。

己を捨て「日本の将来のため、地球の未来のため」といった視点で物事を考えられるリーダーが、いまの日本には(企業にも政界にも役人にも)決定的に不足しているのでしょう。 

 ☆☆☆

ちょっと話が大きくなってしまいましたが、私たちは、まずは身近なところから、自分たちの仕事、役割、使命といったものを考え直す時期に来ているのではないかと思うこのごろです。

人間は自分のために生まれてきたのではなく、誰かの為に何かを為し、次代の人々の為に何かを残し、何かを伝えるために生まれてきたのだと思うからです。

先日読んだ「人間の器量」(福田和也著、新潮新書刊)に、次の一節がありました。原文どおり転載します。

 —–
結局、気にかける人、心を配る人の量が、その人の器量なのだと思います。自分のことしか考えられない人は、いくら権力があり、富があっても器はないに等しい。死を前にして最後の最後まで未練にすがりつかなければならない。
 —–(転載以上)

そうなんです。やっぱり自分のためではなく「世のため人のため」なんです。

私たちの身近な仕事である新卒採用。

自分たち(自社)のためだけの仕事と捉えるのではなく、「日本の将来のため、地球の未来のため」の仕事と捉えることで、私たちの器量も大きくなるのではないでしょうか。

 ☆☆☆

 【今回のどげえするんか?】

 坂本龍馬は、やっぱりでっかいぜよ。こんまいことには拘らんかったぜよ。
 常に視点は「世の中」だったぜよ。でも、人一倍、細やかな気配りのできる男だったぜよ。男じゃのう。あこがれるのう。あんたは、どげえぜよ?

 #今回は大分弁じゃなく、ちょっと怪しい土佐弁で迫ってみました(笑)。

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