僕が実質的に社会人デビューしたのは1983年1月。当時まだ大学3年生だったのだが、客先にはその正体を隠しながら営業マンとしてのデビューを飾ったのだった。
いや、「飾った」なんてカッコいいものではない。
来る日も来る日も、朝から晩までテレアポ(TELクリともいう)。アポが取れるのはせいぜい100社に1社くらい。やっと取れたアポ先に営業訪問するも玉砕……ということを繰り返していた。
当然、まったく売れなかった。思いっきり鼻がへし折られ、自己嫌悪にも陥った。逃げ出したくもなった。
そんなダメダメだった営業マンを諦めずに温かく見守ってくれた(いや、結構きつく怒られていたかなw)のが、若杉さんという営業所長。
僕はこの若杉さんと、若杉さんが所長を務めていた日本リクルートセンター神田営業所のおかげで、ビジネスの基礎を学び、社会人としての考え方を身につけることができた。大切な人たちとの縁をいただくこともできた。若杉さん率いる神田営業所がなければ、僕がパフを設立することはなかったはずだ。
そんな若杉さんからつい先日、とあるお客様をご紹介いただいた。なんと神田営業所時代の超重要顧客だった会社だ。「創業経営者が新卒採用を見直したいということなので、あなたのことを紹介したいんだけど、いいかな?」と。
この会社は、若杉さん自らが大きく育てた会社だった。当時20人そこそこだった会社を、採用や教育といった面から力強くサポートし、ついには株式を上場させるまでになった。
ただ、現在は事業環境も大きく変化し、いろんな課題を抱えている。人材の採用や教育も、その課題のひとつである。
そりゃあ断れるハズがない。というか、極めて光栄なことである。昔、神田営業所が総力を挙げてサポートしていた会社の採用を、僕に(というかパフに)託そうと仰ってくださったわけだ。
で、その訪問日が昨日。
32年前にも若杉さんに営業同行をお願いしたことがあった。そのカッコ良さに惚れ惚れしたものである。まさか32年の歳月を経て、またこうやって若杉さんと一緒に営業同行できるなんて……。
商談の内容は書けないんだけど、こりゃ絶対成功させないとね。
あ、そうそう。
今から10年前、メルマガのコラム(釘さんの素晴らしき100の出会い)で、若杉さんのことを書いたことがあった。昨日の32年ぶりの同行営業を祝して、以下、転載することにしましょう。
では、自分でも久々に10年前のコラムを読みながら、行ってきます!
<第39話> 「神田営業所長のWさん」 | 2005/08/22 | |
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