このたびの熊本地震。最近ではニュースになることも少なくなったが(まだ1か月ちょっとしか経ってないのにね)、被災地の方々のご苦労はずっと続いている。
僕が小中学校時代を過ごした湯布院も苦難の日々が続いている。家屋の倒壊や損傷という直接の被害以上に深刻なのが、観光客が激減してしまっているということ。経済的に大きな打撃を受けているそうなのだ。
でも実際には、ほとんどの旅館や店舗が通常通りの営業を再開している(由布院温泉観光協会の情報によります)。現在では余震も少なくなってきているので、たくさんの方々に、安心して出かけてもらえたらと思う。
ところで湯布院といえば由布岳。
現在の僕のFacebookページのカバー写真にしている(ちょっと前までは富士山の写真だったのだが、地震後、湯布院を応援する気持ちを込めて由布岳に差し替えた)。
これです(6年ほど前の帰省の際、実家の近くから撮った写真です)。
ところが、この由布岳が現在、崩落の危機を迎えているのだそうだ。登山禁止になったらしい。
地元の友人が昨夜、下の写真を送ってきてくれた。
見た目はあいかわらず美しい由布岳なのだが山肌に異変があるらしい。登山できなくなってしまっているというのは残念だ。
10年ほど前、パフが発行するメルマガのコラムで由布岳のことを綴ったことがある。その文章を転載しつつ由布岳のことを応援したいと思う。
30年ぶりの同窓会は1月2日の夕方から開かれることになっていた。
僕は1月1日のお昼前の飛行機に乗った。大分空港に着いたのは、午後1時半。 空港からは、湯布院行きのバスが飛行機の時間に合わせて運行されている。昔は別府を経由してバスを乗り継いだものだが、直行の高速バスができて、とて も便利になった。
バスは高速道路を快適に飛ばす。約1時間後、懐かしい山並みが眼前に広がっ てきた。そして、緩やかなカーブをまがりきったとき、湯布院のシンボル由布岳が目の前に現れた。「お帰り~」と由布岳が僕に語りかけてくれているよう だった。
僕は小学校1年生から中学校3年生までの約9年間、この小さな町、湯布院で 少年時代の毎日を過ごした。辛いときも楽しいときも、いつもこの由布岳に見守られながら暮らしていた。
— 2006年1月16日発行のコラムより抜粋 —
いろんなことが落ち着いたら、湯布院に戻って旧友たちと一献傾けたくなってきたな(´・_・`)。
地元、大事です。由布岳がんばれ!
あ、「おまえが頑張れ!」という声が聞こえた気がする(笑)。
では頑張って、ウォーキングで行ってきます!