今年の12月で20周年を迎える我がパフ。しかし、その創業時は苦難の毎日だった。
そりゃそうだ。何の実績も商品もなかったパフに発注してくれる企業などなかったのだから。
僕のサラリーマン時代のお客さんがご祝儀発注してくださるくらいで、それ以外はほぼ受注ゼロ。会社の現預金も僕個人の預金通帳も限りなくゼロに近かった(マイナスだったかなw)。
そんな創業時のパフを救ってくれたのが、日本を代表する総合商社M商事だった。
コネがあったわけではない。
普通のテレアポ後の営業訪問を経て、当時スタートしたばかりの「職サークル協賛企業」になっていただいたのだ(当時の協賛金は80万円!)。
この出会いのおかげで、パフは創業時の苦境を抜け出し多くの企業の信頼を得て現在に至っている。
※この頃の経緯は「釘さんの素晴らしき100の出会い」というコラム(10数年前に連載していた学生向けメルマガコラム)に書いているので読んでいただけると嬉しいです(*^^)v
<第94話> 「M商事の人事マンたちとの出会い(その1) | 2006/10/10 |
このコラムの最後の方で僕は次のようなことを書いていた。
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浦田さんは、1999年に人事を離れ、最前線の営業現場へと異動となった。
泉田さんは、2001年にアメリカに転勤となった。
杉村さんも、2001年に採用の仕事を離れ、そして2004年にアメリカに 転勤となった。
皆、バラバラになってしまったのだ。
寂しくもあったが、皆さんそれぞれに、活躍のフィールドを移し広げていかれることは嬉しかった。
そして、別れがあれば再会もある。
泉田さんは、一昨年帰国し、グループ会社の役員に就任した。就任するや否や、 そのグループ会社の社長を僕に紹介してくださった。そして、このグループ会 社はいま、パフの名物協賛企業になっている。
杉村さんは、いまでもアメリカで活躍しているが、一昨年、僕のほうから会い に行った。現地(ニューヨーク)でたいへんなおもてなしを受けた。超デカの ロブスターを食べに行ったり、大リーグの試合に連れて行ってくださったりし た。
浦田さんとは残念ながら再会できていないのだが、今回のこのコラムの執筆に あたり「実名掲載」の了承を得るために僕が出したメールに、いちはやく快諾 のお返事をくださった。出会いの当時は新人だったのだが、いまや前線で大活 躍する中堅の商社マンだ。
またいつか、この3人と昔話を肴にしながら、一緒に酒を酌み交わせたらなあ と思う。
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そう。そしてついに昨夜、この3人と酒を酌み交わすことができた。
個々のメンバーとは、たびたび飲む機会があったのだが、3人そろって飲んだのは1998年の出会いの時以来なんと19年ぶり。
そもそもこの3人が顔を合わせるのもあの頃以来ということなので、まさに昨夜は同窓会。実に楽しい宴席で思わず皆揃って愚か者になってしまった(笑)。社長就任間近だと(限定的な怪しいSNSで)報じられている新卒一期生ヨシカワも混じっての宴会だったのだ。
大義名分は、4月から大阪に異動になる泉田さんの歓送会と、3月(つまり昨日)からグループ企業の常務取締役となった浦田さんのお祝いを兼ねての宴席だったのだが、そんなことは関係ない19年ぶりの同窓会。いろいろ書くよりも写真をアップすることで記録に残しておきたい。
パフが20周年を迎えるにあたって絶対に忘れてはならない(これから入ってくる社員たちにも語り継いでいってほしい)恩人たちなのだ。
いやあ、ホントに昨夜は楽しかったし嬉しかった。
こういう愚か者ぶりを公開するのはいかがなものかという批判もあろうかとは思うが、昨夜は心から記録に残しておきたいと思える宴席だったのだ。
では、酔いを醒ましながらのウォーキングで行ってきます!