僕がマラソン大会に出るぞ!と決めたのは、2010年12月10日だったようだ。翌々日の日記に、つぎのようなことを書いている。
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さて。ここで衝撃的な発表を行う。
実は、来年の2月。ハーフマラソンに出場することになった。2月6日の神奈川マラソンだ。先に出場を決めた社員から誘われたのだが、「20キロも走るなんて無理だよ」と、最初は出る気はまったくなかった。しかし、前出の下薗さんが「僕は出ますよ!」と、挑戦状を叩きつけてきた。負けず嫌いの僕がそう言われて出ないわけにはいかない。すぐにWebから申込の手続きをしてしまった。
まあ、そんな他愛もない理由で決めてしまったのだが(マラソンの先輩であるタシロは「そんな安易な気持ちでマラソンにエントリーされちゃ困る」と、陰でボヤいていたそうだが)、完走できる自信はまったくない。しかも2時間半で走りきらないと失格となるらしい。
これは困った。
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そうだ、そうだったのだ。
僕もこの日記を読んで生々しく思い出した。
「先に出場を決めた社員から誘われたのだが、『20キロも走るなんて無理だよ』と、最初は出る気はまったくなかった」と書いているけど、僕を最初に誘った社員が、(いまは退職して外の世界で活躍している)ナガサキという元陸上部の社員だった。
でも、そのあと(当時、東銀座にあったパフ事務所に同居していた)キーカンパニーの下薗さんが「僕は出ますよ!」とさえ言ってこなければ、僕のランはジョギング程度で終わっていたはずで、本格的なマラソンにまで発展することはなかっただろう。いつもは巻き込まれることの多い下薗さんなのだが、このときばかりは下薗さんに巻き込まれてしまった格好だ(笑)。
ともあれ、2011年2月6日の神奈川マラソンまであと2か月。2kmも走れなかった僕がその10倍もの距離を走れるのだろうか。いや、決めたからには走らなければならない。
ということで、年末年始にかけて、かなり真面目にランの練習を重ねていた。
この大会には、パフの社員も何人かエントリーしていた。前出のナガサキや、パフの中ではマラソン歴最長のタシロ、それから今はガイアックスで活躍している(結局は腹痛か何かで棄権した)タカタなど。他にも、大会には出場しなかったものの応援に駆け付けてくれた社員も大勢いたように記憶している。僕のデビュー戦を応援するつもりだったのかどうかは分からないけど、この多くの社員たちに励まされながら、初のマラソン大会をどうにかこうにか制限時間内(ネットで2時間30分以内)で完走することができた。
この時の完走証がこれ。
ネットのタイムが2時間29分04秒。なんとあと56秒遅かったら失格だったようだ。しかも、50歳代男子の部で799人中782位だって(笑)。
この日から数日間、僕は歩くことができず関節痛、筋肉痛に悩まされていたのは言うまでもない。しかし、これに懲りずにこの年の秋、再度マラソン大会に出場することになったのだった。2011年3月上旬の名古屋への出張がきっかけだった。
(次回はついに愚か者名古屋本部長の登場でしょうか笑)