まずは一昨日の夜のことを書かねばなるまい。
一昨日は、6年ほど前より新卒採用業務の心臓部を任せていただいているS社の採用責任者コヤマさんの「卒業式」が飯田橋の中華屋さんで盛大に催された。
以下は、ヨシカワ取締役が「卒業証書」を授与しているところ。
実はこのコヤマさん、年明けから異動することになり、いままでとはまったく違う部署に行くことになったのだ。
6年前、1億円の見積を出したりしてwさんざんお世話になってきたコヤマさんの異動なので、本来ならこちらからご挨拶に伺うべきなのだが、わざわざコヤマさんのほうから泊りがけで(S社は静岡県なのです)ご来社くださった。それなら、いままで関係してきた社員たち全員で「卒業式」を催して送り出してあげよう、ということになったのだ。
この「卒業式」のことは、パフの社員がいずれスタッフブログで取り上げてくれるだろうから、僕からはこのへんで。
で、中華屋さんでの一次会まではよかった。問題は二次会の昭和カラオケのお店。
一軒めで紹興酒をカッポカッポ飲んでいたこともあって、いっぺんに酔いが回ってきてしまったのだと思う。中盤から完全に記憶が飛んでしまった。
気が付けば朝7時過ぎ。「朝ごはん食べないの!!」という声で目が覚めるまで一切の記憶がない。目覚めたのが自宅のベッドだったのがせめてもの救い(苦笑)。
今年、1、2を争うオロカモノぶりだったのではないかと想像する(オオオカがスマホの写真で怪しげな写真を撮影して送りつけてくれてたのを朝発見したのだが、怖くて日記には載せられませんw)。
当然、昨日はずっと二日酔い。真面目に朝から仕事に取り組んでいる社員たちには申し訳ないのだが、はっきり言って社長は使い物にならなかった(-_-;)。
で、話は昨夜のこと。
タイトルに書いた通り、南こうせつのコンサートライブに行ってきたのだ。数か月前から楽しみにしていた。
誰かいっしょに行ってくれるだろうと思ってチケットは2枚買っておいた。ところが「いっしょに行かない?」と声をかけた人たちから、ことごとく断られ、途方に暮れていた。
捨てる神あれば拾う神あり。というか、灯台下暗し。僕の席から直線距離で5メートルくらいのところで仕事をしているキーカンパニーのシモゾノさん(僕は6階の窓際族だがシモゾノさんは真上の7階の窓際族なのだ)が「僕、行ってもいいですよ」と言ってくれたのだ。
僕と南こうせつの関係(?)については8年前のブログで書いていたのでコピペしておこう。
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2010年4 月18日 (日曜日)
南こうせつ先輩に感謝
南こうせつ氏は、僕の高校(大分舞鶴高校)の先輩であり、大学(明治学院大学)の先輩でもある。といっても、同じ時期に通っていたわけではない。こうせつ氏のほうが僕より11歳も年上なのだ。
南こうせつ氏の存在は、僕が小学生の時分から知っていた。「酔いどれかぐや姫」という奇妙な唄を歌っていたのを覚えている。地元のラジオ局で、たまに紹介されていた。ヘンなフォークグループだなぁ…という印象しかなかった。
それが大きく一変したのが、僕が中学一年生のとき。「神田川」が大ヒットしたのだ。
その2年後、僕は南こうせつ氏の母校である大分舞鶴高校に入学する。そして、南こうせつ氏が放課後、仲間たちと歌っていた音楽室で、僕もフォークギターの練習をするようになる。
僕が高校2年生のとき、南こうせつ氏が大分放送の深夜のラジオ番組に生出演していた。僕は下宿の部屋を飛び出し、急いで放送局まで自転車を漕いだ。放送局の玄関前での生放送だった。そしてなんと僕は、こうせつ氏に話しかけてもらった。「おお、キミは舞鶴の後輩かー」「は、はい!」と、たったそれだけのやりとりだったが、ずいぶんと舞い上がったものだ。
僕が南こうせつ氏と同じ大学に進んだのは、まったくの偶然。大学に入学して初めて、こうせつ氏がこの大学の出身だと(正確には中退だけど)いうことを知った。そもそも大分舞鶴高校から明治学院大学に進む生徒は、当時ほとんどいなかった。大分の人間には、明治大学と明治学院大学は一緒の大学だと思われていたくらいだ。こうせつ氏は東京に出ることが第一目的で、「たまたま合格した大学が明治学院大学だった」と語っている。なんだか僕と似ている。
と、なんでまた突然に、こんな思い出話を書いたのかと言うと、今週の日経新聞夕刊の「人間発見」という連載は、南こうせつ氏の話だったのだ。『若き日々を呼び覚ます』というタイトルで、子供時代、高校時代、大学時代、プロになってからの裏話などを、5日間にわたって南こうせつ氏自身が語っていたのだ。連載されていることは知っていたのだが、きょう5日分を、やっとまとめ読みした。
こうせつ氏は、1980年代なかばからずっと、平和チャリティーコンサートに力を入れている。そのことについても連載で触れていた。こうせつ氏は、曲が売れて有名になったあと、「なぜ自分は有名になったのか。何かの使命があって有名人にさせてもらったのではないか」と自問自答することがよくあったらしい。たまたまミュージシャン仲間(山本コウタロー氏)から誘われて協力した「広島ピースコンサート」に出演して、その答えが見つかったのだという。「核兵器の廃絶、平和を訴えるために自分は有名になったのだ」と。
数年前、こうせつ氏は、北朝鮮拉致被害者の家族を励ますために日本に訪れていたPPMのポール・ストーキーさんと一緒にチャリティーコンサートを開いたこともある。僕はとても縁を感じて(PPMは我がパフにとって切っても切れない関係)、コンサートを観に行ったのだった。
そんな南こうせつ氏が今回の連載の締めくくりで語っていたことに感動した。
「人々が悲しく、つらいとき、そばに寄り添うようなメロディーを今後も大切にしたいですね」
南こうせつ氏、今年で61歳である。僕の尊敬する先輩のひとりだ。僕も、こうせつ先輩に倣って、使命感をもった仕事を続けていきたいと思った。
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南こうせつは来年70歳。でも昨夜は、そんな年齢にはとても見えないパワフルなコンサートだった。僕もあと12年は頑張れそうだな。お酒もほどほどにしなきゃね(;^_^A
では、朝食&まんぷく後、行ってきます!