いよいよ本日はパフの公式な仕事納め。やり残した仕事を午前中までに終わらせて午後は大掃除。そして夕方5時からは納会という運びです。
僕個人は、本日の夕方に出版社から校正紙が上がってきたら、そこから校正作業をスタートさせて、締め切りが1月6日、という芸能人もマッサオな年を跨いだシゴトが待っているのですが(苦笑)。
それはともかく。
実質、昨日がパフとしての僕の仕事納め。
2019年、そして2010年代最後の仕事は「つきしま村塾」のファシリテーションでした。
ところで、つきしま村塾の第一回目っていつだったのか。
自転車操業物語を読むと、どうやら2001年1月10日だったようです。
その日の物語をちょっと抜粋してみましょう。
2001年1月10日。
この日、ちょっと風変わりなイベントがパフのセミナールームで開かれた。
その名は“つきしま村(そん)塾”。
なに、それ?
と、普通の人なら思うだろう。変な名前である。
これは、松下村塾(しょうかそんじゅく)から、もじって取った名前だ。
普通のイベントや就職講座では集まらないような、ましてや就職課などには絶対顔を出さないような、ちょっと生意気でも、とびきり熱くて優秀な人材。
それはいったいどうすれば集まるんだろう……。悶々と考えていた。
ということは、21世紀のスタートと同時に始まったわけですね。そしてちょうど丸20年やり続けてきたわけですね。たいしたものですね。
昨日のつきしま村塾のテーマは、「自分が納得できる就活をするためには」というもの。
学生15名、社会人3名(うち一人はパフのイシガミ)とで、喧々諤々の議論を行いました。
僕は20年前の自転車操業物語でこうも書いています。
就職活動のことなんて、あんまり考えていない。
就職活動への興味よりも「社会に出る」ということそのものに関心がある。
自分のことよりも、世の中のこと。今日のことよりも、明日のこと。
そんな価値観を持った学生に会いたかった。そして思いついたのが、この“つきしま村塾”であった。
この“つきしま村塾”の精神を高らかにうたえば、きっと世の中を変えうる人材が大勢集まると思った。
昨日集まった若者たちも、きっと「世の中を変えうる人材」になることでしょう。
つきしま村塾、いいね!
2010年代は終わってしまうけど、このつきしま村塾は、30年でも50年でもずっと続けていってもらえたらと思います。
ところでこの「釘さん日記」はいつまで続くんでしょうね。今年は今日で終わりかな?いや、校正のシゴトに飽きたらもう1回くらい書きましょうか。2019年の振り返りでもしながら。
でもいったんは、お決まりのセリフで締めくくりましょう。
みなさん今年もたいへんお世話になりました。良いお年を、そして素晴らしき2020年代を、お迎えください(^^)v
では朝食&スカーレット後、今年最後の九段下に行ってきます!