士為知己者死

はじめまして!酔っ払いに絡まれた新入社員Tこと土田です。
新人3兄妹の次兄です。

本日、遅ればせながら2丁目ブログにデビューすることとなりました。
新参者ですがよろしくお願いいたします。

簡単に自己紹介をば。

生まれも育ちも広島県です。大学進学を機に上京。
ある辺鄙な都内の外国語大学で、中国語を専攻。
21歳で、なぜかアメリカに留学。
就職活動を経て、パフに入社。
先日24歳になりました。

全ての人生の選択に共通していたのは、
「逆張り」の思想。

趣味は中国。しょっちゅう貧乏旅行をしていました。
特に、中国の歴史や文化、古典が大好きです。

古典に出てくる、「故事成語」も大好きです。

そこで、記念すべき第一回の2丁目ブログでは、
私の大好きな「故事成語」をご紹介したいと思います。

私がパフに入社を決めた理由とも
関係のある成語です。お楽しみください。
(かなり長くなってしまいました。すいません)

(以下、私用SNSの日記から抜粋)
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「士為知己者死」(士は己を知るもののために死す)
(「史記」刺客列伝)
意味:自分を高く評価してくれた人の恩には、命を懸けて報いる

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この「士は己を知るもののために死す」。
私の大好きな故事成語の一つです。

実はパフの選考をうけていたときに、
釘崎さんとの個人面談で、言った言葉でもあります。

私は、
「絶対あの企業に入りたいから、あの企業の求める人物になる!」とか、
「あの企業ではこういうことは受けないから、面接では言わないほうがいい!」、
「今日は○○業界を受けるから、○○業界モードのワタシ♪」とかいう、

「自分を偽って、選考をくぐり抜ける」
という考えにどうしても賛同できませんでした。

「ありのままの自分を、高く評価してくれる企業に報いたい」
ずっとそういう思いで、シュウカツをしていました。

そのとき、常に心においていたのが、今日の成語です。
成語のもととなったストーリーは、以下をご覧ください。

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晋の時代のこと。
豫譲という男がいました。

この豫譲、現代で言うと「シュウカツ生」。
「自分の仕えるべき君主は誰なのか」、各地を回っていました。

ところが、最初に出会った君主も、次の君主も、
豫譲を雇うだけ雇っておいて、まったく重用しませんでした。

そんな折、3人目に出会った君主、知伯は、
豫譲の才を見抜き、厚遇しました。

しかし、時は乱世。
その知伯、趙襄子に滅ぼされてしまったのです。
趙襄子は見せしめのため、知伯の頭蓋骨を便器にしたといいます。
(今から考えれば、すごい話・・・)

怒り心頭の豫譲。
知伯の敵討ちを誓うのでした。

豫譲は、あの手この手で趙襄子に近づこうとしました。
人相を変えるため、顔に漆を塗ったり・・・
病人に扮するために、毒を飲んでのどをつぶしたり・・・

そんな豫譲を見ていたたまれなくなった友人いわく、
「そこまでしなくても、趙襄子に仕える振りをして、近づいて
 隙を見て暗殺してしまうほうが簡単じゃないか。」

しかし、豫譲は一蹴。
「私は君臣の義を明らかにしようとしているのだ。
 一度でも趙襄子と君臣の誓いを立てておいて
 それを裏切って殺してしまったのでは、
 はじめから二心をもって仕えるということになる。」

豫譲は仇討ちにも、あくまでも、筋を通したかったのです。

しかし、あるとき、豫譲は捕らえられてしまい、
趙襄子の前に引きずり出されてしまいます。

趙襄子が言いました。
「お前の、主君が死んでもなお、その恩に報ずる気持ち。
 天晴れである。どうだ、今までの罪は赦してやる
 私に仕えんか。」

固辞する、豫譲。

理解できない趙襄子。いぶかしげに、
「豫譲よ。お前は前に仕えた2人の君主が滅びたときは
 何もしないでおいて、どうして知伯が滅んだときは
 そこまで仇を討とうとするのだ。」

「以前の君主は、私を人並みにしか扱わなかった。
 人並みの恩には、人並みの報い方をしたまで。
 知伯さまは私を、国士として扱ってくださった。
 国士の恩には、国士として報いたいのだ。」

ため息をもらす趙襄子。
「お前の志は分かった。その志、知伯にも届いたことであろう。
 敵ながら天晴れよ。しかし、私はお前を見過ごすわけにはいかぬ。」

「死を恐れてはおらん。しかし最後に、趙襄子よ。
 あなたの衣服を切って、知伯さまへのはなむけとしたい。
 あなたを討つことはかなわなかったが、せめてもの願いだ。」

その言葉に胸を打たれた趙襄子。
衣服を豫譲に与えてやりました。

豫譲は、服を空に向かってなげうち、
気合をこめて、雄たけびともに、とびあがり・・・

一閃、二閃、三閃、
ばらばらに刻まれる服。

それと同時に。
「これで心置きなく、死ねる」
豫譲は自ら喉に剣を突きつけ、自害しました。

趙襄子は眼の前に起こった壮絶な光景に、涙を流し、
豫譲の死を惜しんだといいます。

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ちょっと長くなってしまいましたが、いかがでしょうか。

あの日の土田青年も、自分を認めてくれる人、会社に恩を返したい。
そんな思いで、パフに入社を決めたのでありました。

と、五月病になりかけている自分に対して、
初心を取り戻すためにも、こんな日記にしてみました。

みなさん、これからもよろしくお願いいたします!

次は、私と誕生日が6日しか変わらない、長崎です。

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