ある焼肉屋でのこと。

こんにちは。パフの高田です。

友人が婚約を期に、奥さんになる人とと一緒に暮らすことになり、
先日、その引越しの手伝いをしてきました。

その後の焼肉屋さんでの出来事。

休日の夜なのに、ガラガラの焼肉屋で、
安くて旨いホルモンを食べながら、これまた安いお酒をしこたま飲んでいた時。

ぐでんぐでんになり、いつの間にか少し離れた席に座っていた老紳士と
会話になっていました。

老紳士「キミらは何でお酒を飲んでいるんだい」
僕ら 「こいつが結婚することになって、その前祝をやっているんです」
老紳士「いやあ、それは素晴らしいじゃないか」
友人 「あ、ありがとうございます」
老紳士「本当に素晴らしい。おい、若者」
友人 「はい」
老紳士「絶対に奥さんを大事にしろよ。私はなぁ…」

色々話を聞いていると、この方は今70歳で、25歳のとき結婚をして、子供は授からず、
ずっと一緒に暮らしてきた奥さんに5年前に先立たれてしまったそうです。

「他の誰が亡くなるより、奥さんを亡くしたことが、本当に悲しくてしようがない」
「結局、家も土地も財産も、仕事の実績も、この年になれば、何も関係がない」
「今思うのは、奥さん、近所の人、友人、会社の同僚、
 何でもっと近くにいた人を大切にしてあげなかったんだということだけ」

老紳士は、酔っ払いながらも、終始全く乱れずに、しっかりとした口調で、
僕らにしゃべっていました。

学生のころの僕らであれば、大人に諭されると、無条件に反論するし、してきたけれど、
もう30才近くなり立派な大人である僕ら。

そのお店出た後、
僕  「いやあ、いい話を聞いたなぁ。自分の人生反省だらけだよなぁ」
友人 「ほんとその通りだなぁ」

よい話を聞いた心地よさと、自分への後悔が混ざっていました。

有名な会社に入ることも、活躍することも大事。
でも、70才になったとき、残っているものって何なんだろう。

ほとんどの人間にとって、残るものは達成感より後悔なんではないだろうか。

おそらく、先ほどの老紳士は「奥さんを一生懸命大切にしていた」のだと思う。
だからこそ、亡くなって5年経った今でも「奥さんを大事にしてきたか」で自問しているのでないか。

人間はどんなに頑張ったって、自分の思いに満足することはなく、
結局は、後悔をするのかも知れない。

何かを一生懸命やるからこそ、もっともっとそれへの後悔が生まれる。

しかし、何も一生懸命にやらなければ、後悔せず、空虚な人生だけが残るのではないだろうか。
私は、それだけは嫌だ。

どうせ後悔するのであれば、お金や名声など自分の欲のためではなく、
他者のために後悔したい。

スピルバーグ作でアカデミー賞受賞作である「プライベート・ライアン」の冒頭で、
老人になったライアン2等兵が奥さんにこう言います。

「おまえ、私と暮らしてきた日々は、幸せだったかい」

自分を救出するために多数の命が失われ、
その犠牲のもとに生かされたと実感しているライアンだからこそ、
自分の人生ではなく、相手の人生のために生きてきた。

何かのおかげで生かされていることを実感しないまま暮らしている私達は、
自分のために生きてしまいがちだ。

何も残らない人生も空しいけれど、
自分のための後悔が残る人生もまた空しい。

こんなことを議論したけれど、自分らの欲望のまま朝まで飲みに行ってしまい、
引越し初日に「あなたとやっていく自信がありません」と三行半を突きつけられた友人と僕ら。

人生って難しい。

次は、映画好きの田代さんです。

モバイルバージョンを終了