不条理で理不尽な世界で生きるということ
こんにちは。自分の限界までいってみようと、できる限りのロングディスタンスを
走ってみよう会を一人で開催しましたが、35キロ・5時間弱で断念した長崎です。
全くもって筋肉がついてきてくれません。まだまだフルマラソンチャレンジまでの道は通そうです…。
今回は、私が最近考えていることを徒然なるままに書かせていただきます。
東日本大震災。
私たちの価値観を一変させる出来事でした。
約3万人弱の方が、お亡くなりになる、もしくは未だ行方不明の状態。
その方々は、何か悪いことをしていた人でしょうか。
人に迷惑をかけていた人でしょうか。
そんなこと、ない、と思うんです。
そう思うとともに、私たちが生きる世の中は、とても不条理で理不尽であると
考えざるを得ません。
どんな行動であっても、何も無駄なことはない。
努力は実を結ぶ。
もちろんそうなんですけど、それって「自分にとって」の問題であり、
自分が生きるこの社会の根本は不条理で理不尽である、と。
理不尽で不条理である、決して平等ではないということを理解したくない私たち人間は、
不条理で理不尽なこの世の中に、平等・博愛という思想を与えるがために
政治を作り、営み、宗教を信仰し、皆が平和のために頑張っています。
そして、こうも考えます。
一番強い人は、不条理で理不尽な世の中を「受け入れ」ながら、世のために
力を尽くせる人ではないか、と。
就職活動をしていると、理不尽な事象に出くわすこともあるでしょう。
学歴で判断されているんじゃないか、とか。性別で判断されているのではないか、とか。
それらが確かか不確かかは別にして、世の中の基本は理不尽であると考える
べきではないかと、私は思います。そして、その理不尽さや不条理さを
受け入れ、その上でも世の中のことを思えるか。その強さがあるか。
そんなことを、この時代に私たちは試されているような気がしてなりません。
就職活動だけではなく、その後の社会人人生においても、「あんびりーばぼー♪」
と思わず叫びたくなるようなことはたくさん。自分の力の範囲外で、何が起こるか
わからないのです。
だからこそ、強くなりましょ。
不条理や理不尽なことを「受け入れ」、それであっても上を向いて、前を向いて
世のために歩める人になりましょ。
なーんてことを考えながら、散りゆく桜を見つめる2011年の春なのでした。
強くなろう!それを教えてくれた震災なのではないかな。
お次は、強そうに見えて、本当はさみしがりよ♪の平原です。