三国志に学ぶ人生観 6  曹操

こんにちは、土田です。

 

今日は、ついにビッグネームの登場です。
曹操です。

曹操はまさに「破格」という言葉がふさわしい人です。
既存の価値観を疑い、目的遂行のために何が必要か?という 
本質的なものの見方をする人でした。

伝統だろうが、常套手段だろうが、目的達成に不必要なものは捨てる。
常識はずれだろうが、禁忌だろうが、目的達成のためには手段を選ばない。

まさに私の憧れの存在です。

曹操がどんな人だったかを紹介していると長くなるので
気になる方はこちらを参照してください。

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最近の私の問題意識は「手段の目的化」 です。

学生の就職活動も、企業の採用活動も、職サークルの活動も、
いや、世の中のあらゆることすべてが「手段の目的化」に陥る危険をはらんでいます。

先見の明がある人が、最初に始めた時は画期的な手段でも
多くの人がそれを真似したり、何回も繰り返していくうちに手段が目的化します。 

・とりあえずリクナビを使っておけば大丈夫
・とりあえず自己分析しよう
・とりあえずイベントを開こう 
・とりあえずfacebookページを作ろう

「とりあえず」が出てきたら危険信号ではないでしょうか。

「本当にそれはやる意味があるのか」
「同じ効果を出すのに、別のもっと楽なやり方はないのか」
「やる必要のないものはないか」

を常に考えたいものです。 

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曹操は、形骸化してしまい意味が失われてしまったものをことごとく捨て、
従来にない、しかし合理的な取り組みを徹底して行いました。 

以下に、「曹操が目的のために必要なこと」を徹底的に考え、
実行したというエピソードをいくつかWikipediaより抜粋します。

・洛陽北部尉(首都洛陽の北門警備隊長)に着任時。霊帝(当時の皇帝)に寵愛されていた宦官の叔父が門の夜間通行の禁令を犯した。当時政治を牛耳っていた宦官の縁者なので、報復を恐れて不問にするという意見もあったが、曹操は彼を捕らえて即座に打ち殺した。その後法の禁を犯す者は現れなくなった。

・皇帝を補佐し、権力を手に入れた董卓を倒すため、袁紹を盟主として反董卓連合軍が成立した。しかし、諸侯は自らの利益を重視し積極的に攻めず、周囲をうかがってばかりいた。曹操は連合軍を抜け、単独で董卓を攻めた。

・曹操は張繍の奇襲に合い、長男の曹昂と忠臣の典韋を失った。後年、河北の袁紹との対決が必至となると、張繍は曹操に降伏してきた。周囲は息子の敵の投稿を認めなかったが、曹操は過去の恨みを呑んで迎え入れた。

・家柄や品行によらず、才能ある人材を積極的に登用することを求めた。建安15年(210年)に布告した「求賢令」では、「才能を重視し、家柄や過去にこだわらず、当時身分の低かった専門職の人々も厚く用いる(唯才是挙)」という登用姿勢を打ち立てている。

・曹操は司空府・丞相府において荀彧、荀攸らを中心に軍師祭酒による参謀集団を構成し、政策・戦略決定に関与させた。これは制度化された本格的な軍師(参謀)官職としては、世界初の事例ともいわれる。同時代の他の群雄は、客将・名士層や豪族を抱きかかえる目的を含めて、評定において従えた程度であったのに対し、曹操はより積極的に軍師・参謀を組織的な軍事・政治顧問として用いた。

・農政において、他の群雄達が兵糧確保の為に農民から略奪のような事をしていた当時、曹操は屯田制を行った。屯田とは、戦乱のために耕すものがいなくなった農地を官の兵士が農民を護衛して耕させる制度である。これによって潤沢な食料を抱えることになった曹操は、各地の民衆を大量に集めることができるようになった。この先進的な屯田制が、他の群雄を退け勝ち残る理由の一つとなった。

・世間の頌徳碑建立の盛行および厚葬の風潮を正し、石室・石獣・碑銘などを造り、豪奢な葬礼を行ない墓碑を立てることを禁止する薄葬令を発した。

・奇襲・伏兵を用いた戦いを得意とした。謀略に長じ、軍の統率にも大いに長け、また兵書を編纂し評論できるほどの確かな戦術理論を持っていた。大群が正面から相対し、将軍の一騎打ちで勝負が決まる、という戦争の形を根本的に変革した。

・曹操は適材適所もわきまえており、『魏書』には「任された将兵は立場をよく理解し、自らの武と奇策をもって難に向かった」との記述が残る。

・死に際してさえ、「戦時であるから喪に服す期間は短くし、葬式は虚礼を廃し簡単に済ませ、墓に金銀を入れてはならず」との遺言を残した。

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徹底的な合理主義者な曹操。
現代で言うと徹底的な合理化経営で成り上がった創業社長というところでしょうか。

しかし、草書・音楽・囲碁に長け、文学を奨励すると同時に、自身もすぐれた詩人であり、
また、 食に対する興味・関心が深く、知識も豊富であった曹操。

まさに非の打ちどころのないスーパーマンだったわけです。

私のような凡人は、スーパーマンにはなれなくとも
「目的は何か?」 「本当に意味があるのか?」ということは
彼のように絶えず自問して生きていたいと思います。 

 

次は、「研修のワークシート作成が得意になった」と言っていた奈良です。

 

 

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