三国志に学ぶ人生観 8 魏延
こんにちは、土田です。
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【魏延(字:文長)】
荊州の劉表家臣であったが、劉備のために起こした謀反に失敗し、長沙へ逃亡。
韓玄に仕えるが、のちに劉備が長沙に攻めよせると韓玄の首を斬って投降した。
以後は要衝の漢中を守るなど、劉備軍の主力として活躍。孔明死後、折り合いが
悪かった楊儀と対立。味方の馬岱に背後から斬られた。
http://kakutei.cside.com/san/gi-en.htmより
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こんなに、過小評価されている人物も少ない。
魏延は、五虎大将軍(関羽、張飛、趙雲、馬超、黄忠)に告ぐ
劉備軍の名将で五虎大将軍亡き後は蜀の軍事をトップとして支えた人物です。
しかし、なぜか彼に対する現代人のイメージは悪い。
それは「諸葛亮と仲が悪かった」から。
諸葛亮と犬猿の仲だった魏延は、諸葛亮の死後
裏切り者として処刑されてしまいます。
(しかも『三国志演義』では本当に裏切ったことにされています)
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劉備が長沙を攻めたとき、魏延は城を開けて劉備に降伏しています。
そのとき、諸葛亮は
「反骨の相(頭蓋骨が後部にでていること。裏切りの象徴とされる)が出ている
殺してしまいましょう」とバッサリ。
現代風に言うと「こいつ顔がなんとなくヘンだから殺しちゃってください」という
なんともいえない因縁のつけられようです。
普通、そんなことをいわれたら誰でも嫌いになります。
その後も、諸葛亮は
魏を責める際に、長安急襲を進言する魏延の意見をあっさり却下したり、(結果、諸葛亮の作戦は失敗)
宿敵・司馬懿もろとも魏延を焼き殺そうとしたり、
徹底的に魏延を遠ざけます。
魏延は、そんな諸葛亮の冷遇にも耐えながら必死にがんばっていたのです。
しかし、諸葛亮の死後、諸葛亮の幕僚・楊儀によって「裏切り者」とされ、処刑されます。
本当に裏切ったのか、諸葛亮と対立した魏延を消そうとしたのかは知る由もないですが、
陰謀の匂いがします。
三国志のヒーロー・諸葛亮。
しかし、馬謖・姜維の話もありますし、諸葛亮の人材登用・活用能力には疑問が残ります。
そして、諸葛亮に嫌われた魏延は後世からまで裏切り者と思われるようになってしまいました。
いつの時代も「有名だから中身もよいとは限らない」
「世間から評判が悪い人が本当に悪人とは限らない」
ということなんですね。
人間が集団、組織になるって一筋縄ではいかないです。
次は、ブログデビューの坪内です。