会社の創立15周年記念パーティーでした。
(土田歩 10月14日 本人のfacebook投稿より抜粋)
昨日は会社の創立15周年記念パーティーでした。
いろんな方に再会し、はじめてお会いしたわけですが、もうこれは人との出会いというよりは、それぞれが人生と言う劇で演じ続けてきた役の「歴史」との邂逅なわけです。
・出会ったときは大企業の人事担当者、今は同じ会社で社長・部長というひと
・出会ったときは人事担当者、つい先日会社を辞めたというひと
・出会ったときは自社の先輩、独立して会社をつくったというひと
・出会ったときは自社の先輩、別の会社に転職したひと
・独立して会社を作り、15周年経営をしてきたうちの社長
・よくわからない、吹けば飛びそうな会社に入り、支えてきた同僚の皆様
おっきな会社で偉くなったら何が待っているのか?偉くなったところで何か待っているのか?
サラリーマンじゃなくなったら、何が待っているのか?なくなったところで何か待っているのか?
独立したら、何が待っているのか?したところで何か待っているのか?
その人たちを勝手にモデルケースにして、いろいろと考えるわけです。おれは何をしてもどこにいても、何か楽しいことが待っていそうな気もするし、別に何も楽しくない、今と変わらない悩み苦しむ人生が続くだけという気もする。
何のためにこんなに苦しんで生きるのか?苦しんだ先に、得たものは苦しみから解放してくれるのか?結局は「気の持ちよう」なのか?それは自分の脳を自分で洗脳し、考えると言うことを放棄することにほかならないのではないか?
よくわかりません。人生一度きりです。空気を読んで我慢して、世間的に偉くなっても心が満たされるかはわからない。なので、空気を読まずに刹那的に生きるのが良いと思います。その瞬間瞬間で興奮するほう、わくわくするほう、正義だと思うほうを選ぶ。もちろん独りよがりにならないようにゆずるところはゆずる。でも空気を読みすぎない。我慢しすぎない。本音を抑えて迎合しない。万が一に備えて無難な選択をしても、前提条件ごとすぐに変わってしまう。意味がない。万人受けしてもしょうがない。Aと言うものが好きな人もいれば、嫌いな人もいる。みんなから好かれるなんてありえない。嫌われてもへこまない。誰からも好かれないと言うこともありえない。「やりたいこと」はあればいいが、マストではない。無理やり作ることはない。死ぬまで自分のやりたいことなどわからない。気休めで何かを選ぶぐらいなら、なくてもいい。
そんなことをぼんやり考えながら、一人ウイスキーを飲む日曜の夜でした。