ゴリラ的読書日記之4

こんにちは。いつも味気なく開始してしまうので、最近よく観るドラマの話を..

『下町ロケット』

原作を読んでいないので感想を述べる立場ではないのですが、一言に、いい。

こんなこと…実際には無いよね…と斜に構えて観てしまう自分もいるのですが、観終わった時はいつも非合理的な意思決定の威力について考えさせられます。恐らく、プライドにも大別して2種類あり、滅多にお目にかかれない高尚なもの、そして多くの場合の卑猥なもの。自分自身をも否定してしまいかねないのですが、卑猥なプライドを隠すために合理的な思考を働かせている可能性もあります。敢えて非合理を選択する勇気、そして背後に隠し持つ高尚なプライド。人を内発的に動かすにはこの力が求められるのかもしれないと思う、今日この頃です。

ではいつものように…

■橘木俊詔(2015)『日本人と経済 労働・生活の視点から』東洋経済新報社。

■動機:単純に私自身が橘木先生のファンであるためです。帯には「橘木経済学の集大成!」と書いてあり、これを買わな何を買う…と思い即決。ご存知の方も多いかと思うのですが、橘木先生は労働経済学の大家であり、1998年に世に出た『日本の経済格差』(岩波新書)は高度経済成長を終え、日本国民皆が「豊か」になったという幻想を見事に看破し、後の政策に対し強い影響を与えた、最早古典とも云うべき名著です。私自身も同書を拝読し、労働経済の世界に対し強い関心を抱くきっかけとなりました。

■所感:集大成と謳われているだけあって、背景に格差、雇用、そして教育に対する問題意識が一貫して流れていますが、基本は多角的。戦前に始まり、戦後、高度成長期、バブル期、失われた20年、と順を追って日本経済の姿をありありと描写しています。自分がその中でも一番印象的だったのが、先生が提唱している「定常社会」の姿について。人口減少社会に入り、日本の労働者の総数がマイナスに転じる中で、成長率○○%を目指すという主張は、外圧の結果そのように云わされているだけであり、恐らく達成は困難である。であるならば0%成長を目指す。すなわち定常化した社会を目指すために経済がすべきことは何かを皆が真剣に考える時期にきているとの主張でした(当然、移民受け入れや一層の女性、もしくは高齢者労働力の活用、更には国民の総体での生産性を向上させるための教育格差の是正、イノベーションの促進などといった意見も考慮に入れた上で、それでも尚、の話です)。自分に置き換えてみて、確かにマイナス成長は自身の所得の減少、生活水準の低下に繋がる事態であり、それを受け入れることには中々覚悟のいることだと思います。間違いなく、殆どの国民もそれを受け入れることには拒絶反応を示すでしょうし、それを国が強制し始めたら……話しが別の方向にズレてしまいそうなのでここで止めますが、現実的ではないことは明確です。であるならば、水準を下げずに、現状維持を受け入れる。そのためのやるべきことをやる。仮に時間が余る人は充実した余暇の過ごし方を模索し、実践する。各々にとってのステレオタイプでない新しい形の幸福の姿を定義付ける作業が我々には求められているのかもしれません。…でもこのままだと増え続けていく(国の)借金はどうするの??お先真っ暗に視える社会保障は??などといった意見に対しても橘木先生は明瞭に解を示しています。関心が有る方は是非!!

■推薦書:

・橘木俊詔(1998)『日本の経済格差 所得と資産から考える』岩波新書。

・橘木俊詔他(2009)『教育と格差 なぜ人はブランド校を目指すのか』日本評論社。

・橘木俊詔(2013)『「幸せ」の経済学』岩波現代全書。

次回はPuffの男衆の支柱、折原兄貴の初登場です。自分も楽しみです。

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