ゴリラ的読書日記之6

こんにちは。今回ご紹介したい著書は前回とガラリと変わり「地方」についてです。

このキーワードは「教育」と同様に、誰しもが似通った原体験を有しているため、専門的な知識が無くても発言し易く、結果「私は○○だった。そしてこの経験が私の今を形成している。だから△△すべきである。」といった固有で独自の経験に紐づく一般化し難い、且つ否定し難い正論(?)が巷でよく散見されます。

この正論が感情的なものを多分に含むために(そのために否定し難い)、世論が結構引っ張られ、挙句、「うん。皆が云うことは間違ってない。違うよね。我々はOnly Oneだ‼」という「われ思う。ゆえにわれ有り。」的な解の視えないカオスの世界に羽ばたいていってしまいます。

大人がこんな調子では…その成果を引き継ぐ次世代は…勘弁願いたい、ですよね。

 

□市川宏雄(2015)『東京一極集中が日本を救う』ディスカヴァー・トゥエンティワン。

 

□動機:

この本の著者である市川氏は本のタイトルのよう、「東京一極集中こそが、日本を救うのだ」と主張しています。この主張は感情論に左右され易い地方論争に一石を投じるためであり、多大なバッシングを受けることを覚悟して、真に日本を憂いているからこそ、この本を執筆したと述べています。

一方で私は固定社会の是正には教育の格差からまずは見直すべきであるという立場を採り、教育の格差が縮小すれば、雇用が適切に分配され、所得格差の縮小に繋がる。結果的には間接税の強化のための余分が生まれ、税収が増加し…これ以上続けると余りに脱線してしまうので止めますが、要するに「再分配」に対しては1周して肯定的な意見を有している人間です(前提は「正当」な競争です。適した雇用の分配にはスタートラインが人によって異なっていては上手くいかないと考えます)。

そのような人間がこんなタイトルの著書を見つけたら、それはそれは大興奮。即買いでスピード●ーニングでした。

 

□所感:

大都市から吸収した税が補助金という形で中央政府を介し地方に分配され、地方から労働力が大都市へ移管される。そしてその新たな労働力が付加価値を生み、新たな税収をもたらす…この仕組みが市川氏のロジック構築の際の拠り所になっています。そして大都市の中核である東京の弱体化が進めば、補助金の原資たる税収が減り、地方へ分配量は逓減していくため、大都市に対する選択集中戦略は至って経済合理的である、との意見を示しています。

また一方で同氏が取り仕切る「GPIC(世界の都市総合力ランキング)」で4位につける東京(1位はロンドン、2位はニューヨークで、3位にパリ。因みにコペンハーゲンは18位…ん?)であるものの、5位にシンガポール、6位にソウル、9位に香港、14位に北京とアジア勢との差は年々縮まり、決して東京の地位は盤石なものではなく、むしろ雲行きは怪しいと警鐘を鳴らしています。最たる理由として上げているのが、2025年を過ぎた頃から東京でも始まる人口減少局面への移行です。経済の成熟化に伴い、その産業の主役が第一次から第二次、そして第三次へと移行していくため、第三次産業を発展させる上でのKSFである人材、加えて人口数を確保しないことにはこれ以上の成長は期待できず、この東京の人口減少局面が日本に与えるインパクトは計り知れないというものです。

だからこそ敢えてより際立った選択集中を。大都市への積極投資が巡って地方の救済に繋がる。これが市川氏の持論であり、自ら正論と云う理屈です。

皆さまはどう思いますか。踏み込んで、この正論に対する反論を客観的に構築するためには何が必要でしょうか。私はその鍵がソーシャルキャピタル理論、ネットワーク理論、更にはGDPやGNPを筆頭とした既存経済指標に替わる新たな豊かさを示す新指標の開発、にあると考えています。但し、あくまで東京を筆頭にした大都市はグローバル基準での既存の資本主義原理に則るべきであり、新指標に救済を求めるようでは愚の骨頂。大都市には大都市の理屈。地方には地方の理屈。通り一辺倒の偏重した価値観ではなく、自らで真剣に考え、果たすべき役割を選択することがこれからの時代を生きる私達の採るべき姿勢なのではないか…と思う肌寒い年末でした。

それでは皆さま、どうか良いお年をお過ごしください。

 

□お薦め本

小田切徳美(2014)『農山村は消滅しない』岩波書店。

山下祐介(2015)『地方消滅の罠 「増田レポート」と人口減少社会の正体』筑摩書房。

フィリップ・コトラ―著 倉田幸信訳(2015)『資本主義に希望はある -私達が直視すべき14の課題』ダイヤモンド社。

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