ゴリラ的読書日記之7

こんにちは。

包み隠さず正直に申し上げますと、私は戦国オタクです。今流行り(なのか?)の歴女、10頭身の竹中半兵衛や本多忠勝に萌える方々とは違うことだけは先祖に誓って宣言したいのですが、やはり傍から見たらただの戦国オタクです。

戦国オタクとしての年輪は重ねていると自負していますが、そのきっかけは小学生低学年の頃に出逢ったファミコンゲーム『信長の野望』でした。それまでは『スーパーマリ○』や『ゼルダの伝○』などを友達と一緒にワイワイガヤガヤやるといった、何処にでもいるフツーの子供でしたが、友達の兄貴が『信長の野望』をやっているのを観た途端、ビビビときたことを今も鮮明に覚えています。

その出逢いから私は『信長の野望』にゾッコンです。大学も親の反対を振り切り、文学部史学科に入学しました。今も履歴書の趣味欄に『信長の野望』と書いています。最早身体の一部。日々のルーティンに完全に溶け込んでいます。墓には歴代の『信長の野望』を納めてもらう予定です。

…といった私の偏った愛情を吐露しましたが、今回ご紹介したいのは私が愛してやまない戦国武将と関連する地名の由来について書いた著書です。一般の方々には「ふ~ん。…で?」な内容かもしれませんが、著者が述べられているよう、戦国武将と地名を関連付け、専門的に説いた本は初であり、私も興味深く拝読させて頂きました。

ちなみに私が特に好きな戦国武将は第一に山中幸盛(「願わくば、我に七難八苦…」で有名な武将です)、第二に真田信之(『真田丸』真田幸村の兄です。真田家の存続に奮闘した人物です)、第三に大谷吉継(石田三成の親友。秀吉に100万の大軍を与えたいと言わしめた漢です)です。もし共鳴される方がいらっしゃいましたら、是非朝まで一杯…

□谷川彰英(2015)『戦国武将はなぜその「地名」をつけたのか?』朝日新聞出版。

□動機:

私は幾つかの本を同時並行で読むタイプで、云い方は悪いですが、第二の本を捜していたタイミングでした。見つけた途端は…重複し、むしろ喜んで脱線してしまうので割愛します。

□所感:

まず最初に申したいのですが、筆者同様に私は旅行(国内)が大好きで(筆者の場合は調査、ですが)、昔から産業遺構や歴史的建造物、そして地元の酒と肴を嗜むことがその目的です。筆者の視座には遠く、遠く、遠く及ばないですが、私も歴史的建造物を前にし、当時を回想することは度々です。その観点から、歴史的事実を学ばせて頂いたということに加え、むしろそのような対象に対してのあるべき姿勢を諭して頂いたというのが正直な感想です。自分は本当に未熟。事前にどれだけ調べ、仮説を練り、現場で検証し、新たな仮説を構築することが歴史学でも当然に必要であることを改めて理解しました。

感想に替えてここでは戦国武将と地名との関係性で「へえ~!」と特に思った内容を以下に列挙します。

・会津若松と蒲生氏郷:会津若松の「若松」は蒲生氏郷が名付けた。その由来は蒲生氏郷が幼少期を過ごした現滋賀県日野町にある「若松の杜」からきている

・熊本と加藤清正:元は熊本は「隈本」であった。賤ヶ岳七本槍にも数えられた勇敢な戦国武将であった加藤清正は「隈」の字が「辺鄙な所」を意味することから、自分が治める場所に相応しくないとし、勇ましい「熊」を替わりに当てたとのこと

・仙台と伊達政宗:伊達政宗が奥州仕置の結果、千代(今の仙台)に落ち着いた。当時の千代の由来は政宗が移り住んだ千代城の脇に「千体仏」があったためとされている。教養人としても名高い政宗はこの地に人の理想郷を築きたいと願い、唐代の漢詩『三体詩』に記載されている古代中国首都長安の西にある仙人の住む山(人としての理想郷として描かれている)を倣い、「仙台」とした

□お薦め著書:

黒田基樹(2006)『百姓から見た戦国大名』筑摩書房。

小和田哲男(2015)『戦国武将の実力-111人の通信簿』中央公論新社。

福永雅文(2015)『ランチェスターの法則で読み解く 真田三代 弱者の戦略』日本実業出版社。

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