ウソについて考える
職サークルシンポジウム寸劇のチョイ役で「ブルゾンちえみ」ならぬ「ブルゾンあゆ」をやらせていただきました。
この日のために、大きなお腹とお尻、太い足を維持してきた成果によって、予想以上に高評価をいただけて、はじめてむっちりキャラでよかったな、と思えました。
はい、私は今、ウソをつきました。
高評価なのは嬉しかったですが、むっちりキャラはやっぱりイヤです。
私だって本当は、スタイル抜群の女子でありたいんです。
人は、なぜウソをつくんでしょうか。
昨日、企業様向けに配信しているメルマガに、以下のようなことを書きました。
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この週末は、大学時代のゼミの先生が喜寿を迎えたお祝いで、久しぶりに、
当時のゼミ生が集まる機会がありました。
卒業して17年も経っていますが、学生時代の友人は会えば一瞬で当時の関係
に戻れる不思議な存在ですね。一生大切にしたいな、と心から思いました。
さてその日のこと。2次会、3次会と続き、最後は同期6名だけになった時、
コンサルティング会社に勤める友人が、ボソッと話を始めました。
「オレ実は、社会人2年目の頃、皆にウソをついたんだ。年収を聞かれて、
実際よりも多い金額言っちゃったんだよね。きっと当時のオレは自分に自信
がなかったんだと思う…」
学生時代からマジメで妥協しない彼が、「ウソ」をついたということにも驚き
ましたが、それを15年経った今でも後悔して忘れられずにいた、ということに
もさらに驚きました。
「ウソ」は、その場を取り繕う武器としては便利ですが、長い目で見れば、
自分の心を深くえぐる凶器にもなるんだなと感じました。
昨日の釘さん日記でも「ウソ」について語っていますので、こちらもご覧ください。
( ⇒ http://blog.shokucircle.jp/kugi/2017/06/27/13649 )
ウソとは、何か…。
メルマガ読者の皆さんと大いに語合いたいテーマだなと思いました。
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配信設定した後、ウソってなんだ…と帰りの電車で悶々と考えていました…。
ウソをつきたくてついている人などほとんどいない。
ウソをつかなきゃいけない状態にあるから、人はウソをつくのだ。
そんな状態にあることは、本来、異常事態。
しかし人は、見栄や、欲や、恐怖などにのみこまれ、
その状態が「普通である」「良い状態である」と思い込みたくてウソをつく。
ウソの始まりは、そんな苦しみから生まれるものなのかもしれない。
ウソの年収を言ってしまった友人。
その時は子供が生まれたばかりで、奥さんがとっても疲弊していた。
しかし自分が忙しすぎて、何もできずもどかしさを感じたいた。
出世もしたいけど、家庭も大事。
どうしたらよいか迷ったあげく、彼は、家庭を選んだ。
マネジメントの道をあきらめて、コンサルタントの専門職として生きる決断をした。
そこからは努力の日々。息子と娘のお弁当をつくりつつ現場のコンサルタントとして
頭と体をフル回転。マーケティングの原書を読むなど、猛勉強もしていた。
そして15年経ったつい1ヶ月前。
彼はその会社のトップ5に入る「看板コンサルタント」になった。
ウソをつかないといけない状態からもがき苦しみ脱した彼の笑顔はとても輝いていた。
ウソ自体が悪いわけではない。
ウソをつかないといけない状態を放置する。
それがさらなるウソを生むし、自分も周りも傷つけることになる。
ウソをつく人に対して、そのこと自体を責めるのはなんか違うかもしれない。
でも、「ウソをつかなきゃいけない状態をそのまま放置してよいのか」。それは問い続けていきたい。
というようなことを考えた一日でした。
やっぱりデブ状態を脱するべくもがき苦しまなきゃだめですかね…。ガンバリマス!
明日は、ウソのつけない(なんでも態度に出てしまう)性格の保坂です。