自分の世界の狭さについて
こんにちは、コバやんです@
先日の平原さんのブログを読んで、私もほっこりしました♪
成長している子どもはとにかくかわいいの一言。
自分でやりたい盛りのうちの息子も、11月に2歳になります。
子どもの性格もはっきりしてきて、どうやってこの子の性格が
出来上がってきたのだろうかと、成長の不思議を感じる日々です。
岩崎さんのブログにもありましたが、子どもに対しても日々誠実に接したいですね。
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さて、その息子が通う保育園であったあることから、少し考えたことを。
先日、朝送りに行ってみると、玄関の様子が何となく違う。
よく見てみると、保育園の先生たちの顔写真が貼り出されていた、
ということがありました。
昨今スーパーのジャガイモにすら『私がつくりました』画像があるのに
なんで今更こんな話題?と思われる方がほとんどだと思います。
でも私にしては、子どもが保育園に通いはじめてから今まで
先生たちのことをちゃんと知る機会もほぼなく
また教えてくれる雰囲気でもなかった保育園側が
まさかこんなことをしてくれるとは!、、、という心境だったのです。
通常保育の始まる前の朝の時間帯は
全クラスの先生たちが順番に担当してくれるのですが
考えてみると、どんな先生か名前すらわからず預けていたわけです。
…こうして文章にして冷静に考えてみると
ちょっと異質というか、怖いことですね。
まぁ、みなさんやさしい先生たちなので
神経質になることはないのですけど@
思えば、私は先生たちにさして興味を持っていなかったのでしょう。
『保育園の先生』という社会的立場に対して「安心感」をもっていただけで。
考えてみると自分がいかに周りに興味がないか思い当たることもちらほら。
つまり顔写真があろうがなかろうが
問題の中心にあるのは、【私が興味を持って接しているか】ということただ一つ。
久しぶりに自分を顧みて反省しました。。。
いつも子どもの世話をしてくださる先生や
仲良しのお友だちにも失礼だろうと。
それからはできる限り「先生」や「お友だち」の一区切りにするのではなく
名前で呼ぶように自分でも気を付けています。
ちょっとした変化ですが、なんだか色々なこととの距離がずっと近づいて
保育園のことが楽しくなった気がしました。
うつむいていては、自分の足元しか見えません。
それは自分中心の狭い世界です。
しかし顔を上げれば一気に世界は広がります。
識ることに貪欲に。
今を面白くできるのは、自分自身。
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それではでは、コバやんのひとりごと、今日はこのへんで。
お次の溝渕くん、よろしくお願いします♪