きょうは、すべての予定をキャンセルして、朝一番の飛行機で九州にやってきた。実は、この日記は、福岡空港で、帰りの飛行機の待ち時間に書いている。
九州にやってきたのは、僕の母親の親友であり、息子さんは兄貴の中学生時代の同級生であり、息子さんの奥さんは僕の小学生時代の同級生である、湯布院の親しいおうちのご主人が急逝されたからだ。
亡くなられたご主人と、その奥様は、僕の母親の湯布院でのいちばんの親友であり、かつ命の恩人でもある。
7年ほど前、一人暮らしの母親が脳梗塞になったことがある。ご夫妻は、この母親の異状を真っ先に発見し、すぐに病院に送り届けてくださった。おかげで母親は大事に至らず、大きな後遺症もなく、いまも元気に湯布院で暮らしている。さすがに高齢なので「元気」といっても心配なので、ご夫妻は、しょっちゅう、うちの母親の様子を見に来てくださったり、御自宅に招いてくださったりしていた。
お盆を過ぎたころ、ご主人が体調を崩され、別府の病院に入院された。・・・実は癌だった。
以前の日記にも書いたが、僕が10月の中頃、湯布院に戻ったのは、実はこのご主人のお見舞いに行くのが大きな目的のひとつだった。
お見舞いに伺ったときは、とても元気で顔色もよく、一時間以上いろんな話をしてくださった。
自分で歩いて缶コーヒーを買ってきてくださり、一緒に飲んだくらいだ。退院したら、またゴルフに行きたいと仰っていた。このご主人は、熊本工業の野球部員だった。読売巨人軍の(名選手でありV9時代の名監督だった)川上哲治氏の高校時代の後輩でもあり、野球選手としても有名だったそうだ。
そんな話を懐かしく嬉しそうにしてくださったのが、つい一か月半ほど前。まさかこんなに早く天に召されるとは思っていなかった。
お葬式では、高校三年生のお孫さんも弔辞を読んだ。
“じいちゃん”と語りかけるような弔辞に、涙が思わず溢れてきた。大勢の参列者の方々も同様だった。本当に優しい、頼りになる、いいおじいちゃんだったんだなあ…ということが、よく分かった。最後まで立派に読み上げたお孫さんにも感動した。
おじさん、その節は本当にお世話になり、ありがとうございました。うちの母親が、いまだに元気で毎日を過ごせているのは、おじさんのおかげです。
おじさんのご冥福を心よりお祈りいたします。どうか、安らかにお眠りください。
合掌