釘さん日記

客員フェローが現れた!

昨日、日記の最後のところでこんなことを書いた。

 >  本日は10月度、そして第二クオーターのキックオフミーティングの日である。

> 上の6名に加えて、もうひとりの大型新人が正式に加わる日でもある(詳細は明日にでも)。

ということで本日はその話を書こう。

客員フェローとして着任したのは、リクルート元取締役で、(SPIなどのアセスメント事業や教育研修事業を行っていた)リクルートマネジメントソリューションズ(RMS)の前社長である釘崎広光氏。

昨年の6月にはリクルート取締役を、9月には14年間務めたRMS社長を退任したのだが、その後も顧問として残っていた。しかし先月末で、この顧問契約も終了。無事、キレイな(?)カラダとなった。

「クギサキ」という僕と同姓の人物であり、かつ人事と経営に関する高い専門性をもった逸材である。フリーになった彼を、僕が放っておくはずがない。

ということで、リクルート顧問退任後のすぐ翌日である10月1日付で、パフ客員フェローとして迎え入れたわけである。

釘崎広光氏は大分県の、僕と同じ湯布院中学校に通っていた。5歳違いなので、僕と一緒に学校に通ったことはないのだが、彼を知る教師は僕が通っていた頃もたくさんいたので、彼の凄さはイヤと言うほど(実際にイヤになったが、苦笑)聞かされていた。

高校は僕が通っていた高校のライバル校である大分上野丘高校。進学校だが野球にも熱心な高校で、数年前、春の選抜高校野球の21世紀枠で出場したこともある。彼は、この高校で三年間野球部に所属し甲子園を目指していた(結局行けなかったけど)。

大学は一浪して東大法学部。三年間野球しかやっていなかったくせになぜ東大法学部になんか受かるのか不思議だったのだが、彼曰く「勉強したのは浪人のときの前半だけだ」というから、凡人の僕としては癪にさわる(笑)。

大学卒業後は当時無名のリクルートに入社するわけだが、学生時代に超高給のバイトの呼びかけに釣られたのがそもそものきっかけだったという。

その後の経歴はリリース文書に載っている通りだが、彼がリクルートに入社して4年目の頃、当時大学3年生だった僕は、彼に勧められてアルバイトとして同社神田営業所に入社した。僕の人生は、この神田営業所によって大きな転機を迎え、この神田営業所での仕事の経験がなければパフを設立することもなかったはずだ。そういう意味では、釘崎広光という男、侮りがたし。僕にとっての人生のキーマンなのだ。

そんな彼と30年ぶりに同じ会社で仕事をすることになった。一応は僕が雇い主だ(!)。

釘崎広光氏(12月の誕生日で)57歳。まだまだ第一線を退くには若すぎる。パフ客員フェローとして、大いに会社業績そして世の中全体に貢献してもらえたらと思う。

※以下、10月1日付で発表したニュースリリースです。ぜひお読みください。

http://www.puff.co.jp/news/20121001/

では、これからちょっと走ってくる。その後朝食をとって出社。本日は午後から、今年第一回目の明治学院大学での「職学校」だ。かなり体力を使いそうだな。鍛えなきゃ。

ではそんなわけで、早朝ランニングに行ってきます!

 

 

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