20年前(2000年7月から約1年間)メルマガで連載していた自伝(自虐?)のコラムを不定期で再掲しています。きょうは第18話です。
※第1話はこちら⇒新・パフの創業物語<第1話> 「最初の出会いは産婆さん?」
※原則として昔の原文のままですが、事実とは異なっていた内容、誤字も含めての不適切な表現、「てにをは」のおかしな個所は、修正しています。また当時の写真やイメージ画像等を追加で掲載しています。
※文中にある「今」の内容は、すべて執筆したとき(西暦2000年当時)のものです。
1983年7月。
リクルートで営業の仕事を開始して早半年が経過したころでした。自転車を転がして神田の街中を営業しまくっていたボクは、ある小さなソフトウェア開発の会社に出くわしました。
当時「週刊就職情報」という中途採用の就職情報誌があったのですが、そのSE採用欄にちっぽけなスペースで広告を掲載していた会社でした。
その広告を見て「なんだかチンケな会社だな。新卒なんて採るのかな?」と思ったのですが、とりあえずダメもとで、その会社の社長に電話をしてみました(当時リクルートのアポ電話は、社長へのトップコールが鉄則でした)。
すると「あー、いいよ。いつでもいらっしゃい」と、意外にも先方の社長はフレンドリーな対応で、すんなりとアポが取れたのでありました。
そして、すぐその日のうちに訪問して、お決まりのリクルートブックを営業したのですが・・・これまた意外や意外。
「ん、気に入った。来年からは新卒採用しよう!これで採用できるんだね?」と、その場で50万円程度の媒体への掲載を即決されてしまったのでした。
契約はもらったものの素直に喜べない、少し複雑な心境でした。
だって、その会社は10坪ほどの超狭い事務所で社員も数名しかいない、会社案内も未だ無いような会社だったんです。
「こりゃ、リクルートブックに掲載しただけじゃ、とても新卒の採用なんて無理だな」
そう思ったボクは、後日あらためて、ちゃんとした会社案内の制作、学生向けのDMの企画など、トータルで500万円ほどの企画を持っていったのでした。
そして採用の手法や実務についても(適性検査やら面接の段取りやら)こと細かに提案し、「社長、こんな感じで進めていけば、なんとか数名の採用には結びつくと思いますよ。ボクと一緒に初めての新卒採用を成功させましょう!」と熱く語ったのでした。
さすがに500万円という金額は、当時のこの会社の規模や売上げからすればドデカイ金額だったのでしょう。
しばしの黙考の後、社長の発した言葉は「よし、分かった。釘ちゃんを信じてこの企画に乗ろう。釘ちゃんに全部任すよ。そのかわり、とびきり上等な大学生をつかまえような!」というものだったのです。
わずか2回の訪問で500万円の契約。そしてボクのことを「釘ちゃん」と超フレンドリーに呼びながら全幅の信頼を置いてくれた。単純なボクはジーンと来てしまい「よっしゃ、この会社の採用は俺が絶対に成功させてやる!」と、心に強く誓ったのでした。
この時、ボクは22歳。「実はまだ大学生」という身分は隠しており、リクルート入社2年目の若手正社員ということになっていたわけで……。
このウソが、その後ボクの一生を左右することになるなんて、この時は夢にも思っていませんでした。
(さてさてどうなることやら、と思いつつ次号につづく)
うまれよの「う」は、「うそをつくな」なんですが、このころの僕はこれに反して、自分の身分(学生であること)をひた隠しにしながら営業活動に明け暮れていました。
うそつきはパフの始まり?
いやいや、それじゃあ、あんまりですね(苦笑)。
さあ、最終回まであと33話。ピッチを上げていかないと9月中に終わらないですね。明日もまた続きを載せることにしましょう。
では今日は、在宅で仕事をした後、マジックドラゴンとしてのリアルな打ち合わせに行ってきます!