仕事が楽しくないのは、誰のせい?

おはようございます。ハム石河です。
顔面蒼白だった10月が終わり、ほんの少しだけ余裕が持ててきたように感じる今日この頃です。

無理してでも運動するとか、お酒に頼るとか、友達とひたすら話すとか、
いろいろ試しながらの毎週末のリフレッシュ施策が功を奏しているようです。。。

 

先日、大学卒業以来はほとんど連絡を取らなかった友人と久しぶりに話す機会がありました。

 

石河「お仕事は順調?」

友人「毎日キレられるけど私は元気です」

石河「コンニャクのようなメンタルを手に入れたんだね(笑)」

友人「そうかな、(笑)とりあえず資格の勉強頑張るわ」

石河「公務員に転向するの、、、?」

 

~~中略~~

 

友人「仕事は、たのしい?」

石河「うーん、どうだろう。9割9分は辛いけど、残りの1分の達成感でなんとかもっている
   ような感じかな」

友人「そうか、、、そういう感じか」
  
  「俺のところは仕事のやり方がマニュアルとかでだいたい決まってるから、、
   毎日ミスしていないかめっちゃ怖いわ」
  
  「楽しくないっす!」

石河「マニュアルがあるっていうのも羨ましいなとは思うけど、そこまでガチっとなら
   辛いね…」

友人「まぁ、頑張りますわ」

 

おおかた、まとめるとこんな感じでした。

 



 

この会話をしたとき、ある一冊の本が頭をよぎりました。

 

「仕事は楽しいかね?」(出版:2001年、デイル・ドーテン)

 

仕事に生き詰まったとあるサラリーマンが、一人の老人に出会い仕事に面白さを見出していくという内容。

 

「試してみることに失敗はない」

「試してみた結果失敗に終わったんじゃない。試すこと自体が欠落していたんだ」

「あらゆるモノを変ええて、さらにもう一度かえること」

「試すことに喜びを見出してくれるといい」

 

といったことが、具体的なエピソードとともに書かれています。
本著の「試す」ということを、僕は「ほんのちょっとだけ工夫してみる」というように解釈しています。

 

『何かを変えることは難しいかもしれない。でも、「試すこと」は簡単である。』
『試してみることを続けた結果、成功するかもしれないし喜びを見いだせるかもしれない』

 

読了後、この本はそんなことを問いかけてくれた気がしました。

 



 

「毎日キレられるけど、、、」

「俺のところは仕事のやり方がマニュアルとかでだいたい決まってるから、、毎日ミスしていないかめっちゃ怖いわ」

 

きっと、このマニュアルは「新人でもできるように標準化したもの」であると同時に(否、それ以上に)
「誰であってもミスを起こさせないようにするもの」であるような気がしてなりませんでした。

 

前者であれば「できないことが前提」であって、後者は「できないことはそもそも想定されていない」

 

仕事柄ミスが許されないというのもあるかもしれないですが、
「マニュアルどうりにすれはミスなくできるんだから、マニュアルどうりにしろよ!」とか
「なんでマニュアルどうりにしないんだ!」とかで、上司の顔を見ながらの仕事になっているのを
想像するのは決して難しいことではないはずです。

 

きっと、仕事そのものが楽しくないわけではなくって、「こうすればできるようになるからやれ」という
自分なりの工夫ができる環境がないがゆえの

 

 

「楽しくないっす!」

 

 

という言葉に表れているように思います。

 

仕事が楽しくないのは、本人だけのせいなのでしょうか。

楽しくする工夫だけならは本人だけでもできるかもしれない。

でも、それを許してくれるほど組織は寛容なのでしょうか
そもそもそれをさせない環境がそこにあるのではないでしょうか。

 

いつか管理職になるかもしれない、将来の自分のために今日のブログを備忘録として残します。
このモヤモヤを忘れないためにも。

 

お次は、鬼丸さんです!

モバイルバージョンを終了