やりたいことを為すべきか
おはようございます。ハム石河です。
年はあけましたが、
このところ100×10チャレンジ生の訪問も止まることは知らず気づけばこの半年で30人超受け入れていました。
たった2年の差ではあるけれど、僕らと同じだったこと違ったところとと様々で、就活最前線に立っている学生さんと対話することの意義を改めて感じています。
そんな中で、議題によく上がるのが「やりたいことをすべきか否か」あるいは、「やりたいことを見つけないといけないのか」というテーマです。
正解はないでしょうし、良い悪いでもないと思っているのですが、
先日、東進の林先生の言葉に痛く感動を覚えたので、このブログでシェアをしようと思います。
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人は、「できるか否か」で考える人と「やりたいか否か」で考える人がいる。
まず、前者。「できるか否か」で考える人は、自分個人のスキルに依存していると言えるそうです。
(この場合、「自分の中ではできないと思っているけど、周囲から見ると向いている」という意味も含まれている。)
では、後者。「やりたいか否か」で考える人は、外的な環境を内面に取り入れて、それを自分の中で正当化させている、と言えるそうです。
「広告代理店で働きたい!」「キャビンアテンダントになりたい」「社長になりたい!」などのやりたい像もこれに当てはまるそうで。
では仮に、時間軸を200年に戻したとして、それらの仕事や概念がまだなかった時代に、全く同じような事を言えるかというと実はそうではなかったりします。
きっとその時代では、「立派なお侍さんになりたい」とかそんな感じではないでしょうか。
あるいは、アイヌ民族の例などもあるそうで。
ある日本の研究者が、アイヌ民族の族長にインタビューするという機会があったそうです。
研究者「この21世紀の現代、あなたがやりたいことはなんですか?」
族長 「…わしゃ、素手で熊を殺りたい」
研究者「…」
この文化が発展した現代において、アイヌ民族の族長は、素手で熊とやりあうことがやりたいことだと。
もし、外の世界を知るきっかけがあったならば「沖縄へいってみてぇ」なんて言ったかもしれない。
でも、アイヌという特有の文化の中で育ってきた彼だからそこでたこの発言。
きっと彼を取り巻く環境が、彼にそう言わせたんだと僕は思うのです。
つまり、やりたいことは、
自分の外的な環境や身近に関わる人物から受けた影響を、自分自身の中に取り込み、それがやりたいことだと錯覚している
まさにその状態の事を指す、ということなのです。
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そう考えると、「やりたいこと」は時代や文化によっていかようにも変化し得えますよね。
一方で「出来ること」はその人個人のスキルに依存するので、時代や文化の影響をつけにくい。
また、社会に出ること(=働くこと)で、否応無しに経験とそれに基づくPDCAをガンガン回していかないといけないので、結果的に、出来ることの「範囲」は広がりをみせていく。
僕自身パフに決めた理由は、実はそんなところにもあったりもしました。
出来ることの範囲を広げていった先に、時代や文化と混じる接点があるはずだと。
それまでに、いろんな武器や装備を蓄えていきたい。
それが叶えられそうだったのが、パフだった。
そういえば先日、
ふるさと就職ネットワークに加盟する若手20名弱で合同研修を受けたのですが、
その講師の方の経歴が「金融機関→人事コンサル→講師」というものでした。
その方から意図があってのキャリアチェンジだというお話をお伺いしたのですが、
「やっぱり未来はどんなふうに広がりを見せるのが、ワカンナイから面白い!」と思ってしまいました笑
さて、明日は
「もう研修を受ける立場じゃなくなった」らしい仕事人・鬼丸さんです!