釘さん日記

創業時メンバーの菊ちゃんが帰ってきた!

15年前のパフ創業時。大学を卒業したばかりの、ひとりのペーペー営業マンがいた。

パフの社員ではない(そもそも新卒を採用する余裕なんて創業時のパフにはなかった)。

名前を菊ちゃんという。

菊ちゃんは、(ネット広告代理店の大手企業である)オプトの新入社員。いまは大企業のオプトだが、当時は社員が10人しかいなかった。

そんな零細ベンチャー企業に夢と野望を抱きながら入社した菊ちゃん。

ところが創業社長の鉢嶺さん(当時パフの非常勤役員を務めてもらっていた)から、「キミはパフに行って釘崎さんの下で働きなさい」と言われて、訳の分からないまま、以降1年間、社会人としての第一歩をパフのどぶ板営業マンとして過ごすことになったのだ。

当時のパフは(創業直後なので当たり前だが)実績のある商品なんて何一つない。取引のあるお客さまも一社もいない。すべてがゼロからのスタートだった。

菊ちゃんは、何百社もの企業に電話をかけまくり、飛び込み訪問もしまくり、営業先の人事担当者に断られまくるという毎日を過ごしていた。

日に日に財政は厳しくなる一方。会社の預金通帳は、「これって小学生の貯金通帳?」と見間違うほどの残高になっていた。

本当に苦しい苦しい毎日だった。

そんな厳しい時代をともに過ごした菊ちゃん。出向期間を終えてオプトに戻って行ったのだが、その直後、彼はオプトを辞めてしまう。

オプトに入社後いきなりパフに出向させられて、厳しいどぶ板営業をやらされて、嫌気がさして辞めてしまったんだろうか。僕は、申し訳なく思っていた。

でもそんな心配をよそに、菊ちゃんは転職先の外資系パソコンメーカー(デルコンピュータですね)で大活躍し、気がつけばアジアの統括責任者にまで上り詰めていた。その後、アップルコンピュータに籍を移し、ここでもシンガポールの責任者を務めるまでになった。

「へー、あの菊ちゃんが。すごいなあ」と思っていた。

その菊ちゃんが、昨夜、パフに遊びに来てくれた。会うのは彼がパフを去って以来。実に14年ぶりだ。

学生に毛の生えたくらいの不良兄ちゃんだった菊ちゃんが、白髪混じりのスーパービジネスマンに変身していた。

いやあ、嬉しかったなあ。

その後、茅場町の焼鳥屋で乾杯。そして、「あの頃の新富町の事務所、まだあるんですか?行ってみましょうよ!」ということになり、タクシーで新富町まで。

そこで撮った写真がこれ。

創業時の超狭い事務所があった「新富町1丁目ビル」の前での菊ちゃんとのツーショットだ。

「あのころ、パフで鍛えてもらったおかげで今の僕があるんです。デルコンピュータよりもアップルコンピュータよりも、あのころのパフがイチバン辛かったけどイチバン必死に懸命に働いていました」と、菊ちゃんは語ってくれた。

菊ちゃんは、実はつい最近、古巣のオプトに戻り、海外事業責任者を務めることになったのだという。

「クギサキさん、こんどはまた海外で、いっしょにどぶ板営業やりましょうよ」

「お、いいね、やろうやろう!」

そんなことを、新富町のスナックのろで語り合っていた。

実に楽しく嬉しい、菊ちゃんとの再会だった。

 

さて、本日はついに2012年の仕事納め。最終日の大仕事は、大掃除と年賀状だ。実はまだぜんぜん着手できていない。なんとか本日中に仕事がすべて納まるように、行ってきます!

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