「昔のコラムをコピペしてるだけ。そんなの単なる手抜きじゃん!」という誹(そし)りなどまったく気にせず(笑)、3回シリーズの最終回をコピペします。
ちなみに第一回は、こちら⇒ ムライさんのJリーグチェアマン就任を記念して(1)
第二回は、こちら⇒ ムライさんのJリーグチェアマン就任を記念して(2)
を、それぞれご参照ください。
(このコラムは、2005年10月に執筆したものです。文中の年数や役職などは、すべて当時の内容です)
<第48話> 「M井ミツルとの運命の出会い (後編) 」 |
2005/10/24 |
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「なんだクギサキ。じゃぁおまえ、自分で会社を創ったらいいじゃないか」
M井さんからいきなり出てきた言葉だった。
会社を創る……。出来ることならいつかは独立したい。いつもぼんやりと考えていたことだった。
このとき、突然この言葉を目のあたりにし、僕は自分の気持ちが抑えられず、次第に高揚していくのがわかった。
それから一時間くらいの時間だったろうか。M井さんは、僕の背中をこれでもかというくらい押しまくってくれた。
「クギサキ、お前は今までの人生を振り返って、『結果オーライ』でたまたまうまくやってこれたって言ってたけど、そうじゃない」
「お前が自分で、すべての結果をオーライにしてきたんだ。お前は結果をオーライにできる奴なんだよ」
「やってみろよ。これから起こることを、いままでみたいにオーライにしてみろよ」
何かが僕のなかで吹っ切れた瞬間だった。
結局僕は、翌日から会社設立に向けて、信じられないくらいのスピードとパワーで動き出すことになったのだ。
この日のM井さんとの酒席がなければ、僕が会社設立に向けて動き出すことはなかったかもしれない。
M井さんはふだん茫洋としているようで、その実、人間の器の大きさを感じさせる人物だ。難しいことを喋るわけではない。偉そうなことを言うわけでもない。むしろ僕らが日ごろ難しく考えがちなことを、ひたすら単純化しながら話してくれる。
世の中、なんにも難しいことはないんだ。難しくしているのは、自分の視野の狭さだったり、気の弱さだったり、プライドだったり……。そんな、ちっぽけでくだらないことが原因なんだって、M井さんと会って話をするたびに気付く。
何度も繰り返すが、23年前のこの出会いがなければ、間違いなくいまの僕とパフはなかった。「いまの僕とパフがない」ということは、パフの社員たちの人生もまったく違うものになっていたということだ。パフを使って進路を決めてくれた数多くの(元)学生たちも、まったく違う人生の選択をしたはずだ。
つくづく人の縁の不思議さと偉大さを感じる。
ちなみに、このM井さん。今はなんと、リクルートグループの中核某社の社長を務めている。23年前の、売れない屁こきの新人営業マンだったあの日がウソのようだ。
ということで、3話連続でご紹介した今回の出会いは、僕の100の出会いの中でも五本指に入るくらいの大きな出会い。M井さんとの出会いの話でした。
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ムライミツルという人物がいなければ、パフという会社が生まれることはなかった。これだけは誰が何といおうと、間違いのない事実だ。
同様に、「ムライミツルという人物がいなければ、日本のサッカーがこれほどまでに発展することはなかった」と、10年後20年後の人々に言わせたい。
ムライさん、がんばってね。僕もこれから贔屓のチームを無理にでもつくって、スタジアムまで観戦しに行こうと思います。
さて、本日は昨日と打って変わって寒いらしい。雪の予報も出ている。
マフラーをぐるぐる巻いて、行ってきます!