M井さんが紹介してくれたK社への営業訪問。僕とM井さんは、K社の人事担当者に一生懸命リクルートブックの売込みを行った。 しかし、最後にK社の人事担当者から出た言葉は……。 「いやー、新卒採用の予算なんですが、実はもうほとんど残ってないんですよ」 まったくM井さんのやつ。「一千万円は軽いな」なんて軽口たたくもんだから…。期待して損しちゃったよ。 と、僕はやや憤慨していた。 K社から神田営業所への帰り道。M井さんがポツンと一言漏らした。 「クギサキさぁ。なんで俺たちこんなに売れないのかナァ…」 日ごろノー天気に屁をこいていたM井さんでも、実は売上げがあがらないことを気にしていたのだ。 「M井さん、元気だしましょうよ…。あ、M井さん、まずい。僕たちの歩いているこっち側の歩道は日陰ですよ。向こうに渡りましょう、向こうに。せめて日の当たる道を歩いて帰りましょう!」 「そ、そうだなクギサキ。日の当たる道を歩いて頑張ろうな!(涙)」 この『日の当たる道を歩いた』エピソードは、僕とM井さんとの関係を説明するときによく使う話なのだが、何度書いても切なくて面白い。 M井さん23歳、僕が22歳。バカをやりながらも頑張っていた、若かりし2人の営業マンだった。 ・・・・・ そして1997年10月。日の当たる道を歩いたときから14年の歳月が流れていた。 M井さんと何年ぶりかで再会し、久々に一献傾けることになった。 M井さんは、リクルートの人事責任者。僕はとある人材系企業で、当時はまだ珍しい存在だった就職サイトの運営責任者をやっていた。 ダメダメだった2人が「責任者」という立場。しかもM井さんは、もっとも似合わないと思われる人事の仕事をしていた。世の中何が起こるか分からないものだ。 ふたりで酒を酌み交わしながら、辛くも楽しかった14年前の数々のエピソードを振り返り懐かしんでいた。 かなり酒も進んだときだった。僕はM井さんに、いまの仕事の面白さと今後の可能性。そして、だからこそ感じている限界について話をしていた。 「なんだクギサキ。じゃぁ、おまえ、自分で会社を創ったらいいじゃないか」 M井さんは、事もなげにそういった。 このM井さんの一言をきっかけとし、僕の運命が大きく回転することになった。 そして「パフ」という会社が約2ヵ月後、世の中に誕生することになったのだ。 (後編につづく) |