パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

2010年代を振り返ってみます。

2019年12月31日 (火曜日)

今日で2019年が終わります。と同時に2010年代も終わって、明日からは2020年代という新しい時代が始まります。

ということで2010年代最後の日、この10年間を過去の「釘さん日記」を引用しながら振り返ってみましょう。


☆2010年

この年の大河ドラマは龍馬伝だったんですね。僕の日記も龍馬ネタがやたらと多いです。

龍馬が江戸行きを許された日(2010年1月10日)

ネルソン・マンデラと龍馬の父と(2010年2月14日)

フラガールの蒼井優と、龍馬伝の貫地谷しほり(2010年2月7日)

 

僕が50歳を迎えた年でもありました。50周年ライブを新潟県のささかみで決行して、多くの方々に迷惑をかけたりもしていました(笑)

きっかけはこの日の出来事でした。⇒ 感動がたくさんあった「オリザささかみ自然塾」(2010年3月28日)

7月にはプロモーションビデオの撮影に出かけたり⇒ プロモビデオのロケに行った日(2010年7月18日)、ささかみの写真集(2010年7月19日)

こちらがライブ本番の日 ⇒ 50歳記念ささかみライブを振り返る日(2010年11月22日)

 

マラソンを始めたのも2010年の大きな出来事でした⇒ パフの13回目の誕生日に衝撃発表をする日(2010年12月12日)

考えてみたら走り始めてもう10年も経つんですね。いやー、すごい。

おっと、このペースで振り返っていたら丸1日かかってしまいそう。2011年以降は駆け足で進めましょう。


☆2011年

2011年、いや2010年代のもっとも辛く悲しかった出来事。政治や経済を大きく変え、人々の暮らしも価値観をも一変させたのが3月11日の東日本大震災でした。

速報で社員の無事を知らせました⇒ 【ご報告】パフの従業員は全員無事です(2011年3月11日)

復興支援ライブをやったり被災地に訪問したりしました⇒ 震災復興支援ライブが終わり、いよいよ被災地に向かう日(2011年5月15日)、遅ればせながらMSPチャリティーライブの報告をする日(2011年5月30日)

一方で、リーマンショックをきっかけにパフの業績がどん底を迎えたのも2011年でした。ここで100%子会社(マジックドラゴン株式会社)を作り、社員のほとんどを出向させるという奇策に出たのもこの年の大きな出来事でした。マジックドラゴンのほかパートナー会社3社にも4名の出向者を迎え入れてもらいました。⇒ 【謹告】新会社設立と体制変更のお知らせ(2011年7月15日)

名古屋のライバルとの公私にわたる戦いが始まったのもこの年からでした。⇒ いびがわマラソン、感動をありがとう!(2011年11月13日)


☆2012年

パフは15周年を迎えました。業績も数年ぶりに黒字回復で(わずかな利益でしたが💦)終えることができ、復活ののろしをあげた年でもありました。⇒ 15周年記念イベントを開催します(2012年8月27日)、2か月早い、15周年記念パーティー(2012年10月15日)


☆2013年

いまや副社長のヨシカワさん。本格的な幸せ路線が始まったのはこの日からでした。⇒ ヨシカワさんの婚活が終了した日(2013年1月24日)

「ブラック企業」という言葉が流行し始めたのもこのころでした。⇒ 離職率の高い会社はブラック企業か?(2013年1月30日)

リーマンショックから立ち直り始めたこの年、久々の新入社員を迎えました。マリちゃん、アズサワ、ウニオの3名でしたね ⇒ 2013年入社式の風景(2013年4月2日)


☆2014年

パフの影の創業者、ムライさんがJリーグのチェアマンに電撃就任したのがこの年でした。もうあれから6年も経つのね。三度目の任期がそろそろだけど……⇒ ムライさんのJリーグチェアマン就任を記念して(1)(2014年1月22日)

僕の母親が亡くなった年でもありました。享年90歳。息を引き取った翌日からは、追悼のつもりで両親との思い出話を綴る日記を書き始めました。⇒ 幼いころを思い出してみる(1)(2014年10月23日)。49日の法要を迎える日まで全22話を書き続けました。⇒ 幼いころを思い出してみる(最終回)(2014年12月8日)


☆2015年

僕がNHKの朝ドラを欠かさず観るようになったのは、このころからだったのかな。特にこの日の放送には痺れましたね。⇒ マッサンに学ぶ経営者像(2015年1月19日)

55歳を迎えた僕は、また無謀にもこんなライブを開催しました。現APU学長(当時はライフネット生命会長)の出口さんも来てくださいました。あ、そうそう。オーオカがパフに入社するきっかけとなったのもこのライブでしたね⇒ 【感謝!】釘さん55ライブ完了報告(2015年12月7日)


☆2016年

このころのパフの本社事務所は日本橋茅場町。2011年に移転してから6年が経とうとしていました。業績も回復し、キャッシュにも余裕が出てきたこともあり、執務室の大掛かりなレイアウト変更に着手しました。フリーアドレス構想はものの見事に失敗しましたが(苦笑)⇒ レイ変完了しました。一応……。(2016年7月19日)

フィリピンに体験留学したのもこの年でした。観光地なのに朝から晩までずーっと英会話の勉強をしていました。⇒ フィリピンにやってきた!(2016年7月25日)

山と鼓と葉(やまとことは)が結成された年でもありました。⇒ やまとことは(2016年11月1日)

100×10チャレンジがもっとも盛り上がっていたのもこのころ。僕もこの時はまだ現場に精力的に携わっていたんですよね💦 ⇒ いよいよ最終クールを迎えた今年の100×10チャレンジ(2016年12月5日)


☆2017年

パフの設立20周年の年でした。もうあれから2年経つんですね。⇒ 20周年記念イベント無事終了いたしました(その1)(2017年12月19日)

東京マラソンに出場できたのもこの年の大きな出来事。これでマラソン大会に出るのはおしまいにするはずだったんですけどね…。⇒ 完走しました東京マラソン( `ー´)ノ(2017年2月27日)

今に続く「春よ来いライブ」の第一回目もこの年でした。⇒ 春が来た!(2017年2月6日)

履修履歴活用コンソーシアムと日本採用力検定協会を立ち上げたのも2017年でしたね。⇒ 履修履歴活用コンソーシアムを立ち上げます。(2017年5月30日)、【ご報告】一般社団法人 日本採用力検定協会を設立します。(2017年6月13日)


☆2018年

引退したはずのマラソン大会でしたが、名古屋の愚か者の巧みな策略にまんまと乗せられて熊本マラソンに出てしまいました。でも、きよさんと再会できたのは幸せでした(#^^#) ⇒ 熊本城マラソン、無事完走しました。(2018年2月19日)

パフ本社事務所の移転。現在の九段下(住所は千代田区飯田橋1丁目)に引っ越したのがこの年のゴールデンウィークでした。僕は移転作業の立ち合いでほとんど休めなかったんですよね。⇒ 本日から電車通勤(痛勤?)なのです。(2018年5月1日)

GWに休めなかったからってわけではないのですが、夏には1週間休みを取って北海道一人旅を決行しました。⇒【北海道放浪記】3日目は北の最果て。宗谷岬とノシャップ岬(2018年7月26日)


☆2019年

ふー、やっと今年に突入しました。

今年いちばんの出来事は約15年ぶりに本を出したことでしょうか。伊達さんという強力な事業パートナー(ドラえもんの四次元ポケット?)なくしては出来なかったこの本。とても愛着があります。この本のおかげで新しい取引先が何社も生まれたりしたのも大きかったですね。⇒ 明日はいよいよ「採用本」の発売日です。(2019年3月12日)

平成から令和へ。平成最後の日の日記です。⇒ せっかくなので僕の平成を振り返ってみましょう。(2019年4月30日)

そしてパフにとって、今年いちばんの出来事はやっぱりこれでしょうね。⇒ 吉川安由さんが副社長に就任した日(2019年9月27日)


 

こうやって振り返ってみるといろんなことのあった2010年代でした。

そして明日からは2020年代。名実ともに新しい時代の幕開けです。この10年間と同じくらいに濃い10年にしていきたいと思います。

あと12時間で終わってしまう2019年ですが、皆さんよいお年をお迎えください。また2020年早々にお会いしましょう。

ではこれから僕は、正月の食糧の買い出しに自転車に乗って行ってきます!

いよいよ本日はパフの公式な仕事納め。やり残した仕事を午前中までに終わらせて午後は大掃除。そして夕方5時からは納会という運びです。

僕個人は、本日の夕方に出版社から校正紙が上がってきたら、そこから校正作業をスタートさせて、締め切りが1月6日、という芸能人もマッサオな年を跨いだシゴトが待っているのですが(苦笑)。

それはともかく。

実質、昨日がパフとしての僕の仕事納め。

2019年、そして2010年代最後の仕事は「つきしま村塾」のファシリテーションでした。

ところで、つきしま村塾の第一回目っていつだったのか。

自転車操業物語を読むと、どうやら2001年1月10日だったようです。

その日の物語をちょっと抜粋してみましょう。


2001年1月10日。

この日、ちょっと風変わりなイベントがパフのセミナールームで開かれた。

その名は“つきしま村(そん)塾”。

なに、それ?

と、普通の人なら思うだろう。変な名前である。

これは、松下村塾(しょうかそんじゅく)から、もじって取った名前だ。

普通のイベントや就職講座では集まらないような、ましてや就職課などには絶対顔を出さないような、ちょっと生意気でも、とびきり熱くて優秀な人材。

それはいったいどうすれば集まるんだろう……。悶々と考えていた。


 

ということは、21世紀のスタートと同時に始まったわけですね。そしてちょうど丸20年やり続けてきたわけですね。たいしたものですね。

昨日のつきしま村塾のテーマは、「自分が納得できる就活をするためには」というもの。

学生15名、社会人3名(うち一人はパフのイシガミ)とで、喧々諤々の議論を行いました。

 

僕は20年前の自転車操業物語でこうも書いています。


就職活動のことなんて、あんまり考えていない。

就職活動への興味よりも「社会に出る」ということそのものに関心がある。

自分のことよりも、世の中のこと。今日のことよりも、明日のこと。

そんな価値観を持った学生に会いたかった。そして思いついたのが、この“つきしま村塾”であった。

この“つきしま村塾”の精神を高らかにうたえば、きっと世の中を変えうる人材が大勢集まると思った。


 

昨日集まった若者たちも、きっと「世の中を変えうる人材」になることでしょう。

つきしま村塾、いいね!

2010年代は終わってしまうけど、このつきしま村塾は、30年でも50年でもずっと続けていってもらえたらと思います。

 

ところでこの「釘さん日記」はいつまで続くんでしょうね。今年は今日で終わりかな?いや、校正のシゴトに飽きたらもう1回くらい書きましょうか。2019年の振り返りでもしながら。

でもいったんは、お決まりのセリフで締めくくりましょう。

みなさん今年もたいへんお世話になりました。良いお年を、そして素晴らしき2020年代を、お迎えください(^^)v

では朝食&スカーレット後、今年最後の九段下に行ってきます!

今年もあと2日と4日

2019年12月26日 (木曜日)

今年の12月は暖かかったせいか、年末という感じがしていませんでしたが、さすがに今週に入って押し迫ってきましたね。

ところで、いま僕は「押し迫る」と書きましたが、「あれ?押し迫るでいいんだっけ?ひょっとしたら押し詰まるだっけ……」と不安になってググってみました。

すると、NHK文化放送研究所のページがヒットしました。

このページでは「放送現場の疑問・視聴者の疑問」ということで言葉の使い方を解説してくれているんですね。さすがNHK。

で、そのページをそのまま引用します。


Q.ことしも残すところあと1か月あまりになりましたが、これから12月にかけて「暮れも押し迫る」とか「暮れも押し詰まる」といった言い方が放送でもよく出てきます。同じ意味でしょうか、それとも違うのでしょうか。

 

A.一般的には同じ様な意味で使われていますが、放送では「暮れも押し迫る」は「暮れに近くなること」、また「暮れも押し詰まる」は「暮れの中でも、その終わり(12月末)に近くなること」の意味として使い分けています。

┃解説:「押し迫る」も「押し詰まる」も、ある事や時期が「近づいて来た状態」「間近になった感じ」をいいますが、前者より後者のほうが「より差し迫った状態」「余裕のない感じ」を指します。このため放送では、それぞれ次のような意味あいで使い分けています。

  • ◇「暮れも押し迫る」 …暮れに近くなること
  • ◇「暮れも押し詰まる」…暮れの中でも、その終わり(12月末)に近くなること

(ことばのハンドブックP29参照)

「下駄買うて 箪笥の上や年の暮」(永井 荷風)


なるほどね、勉強になりますね。

ということは・・・

仕事納めまではあと2日なので、「押し詰まる」のほうが相応しいし、大晦日まではプラスあと4日あるので、まだ「押し迫る」のほうが適切なんでしょうね。

いやー、日本語は深いですね。

思わぬところで日記ネタができたじゃんね(笑)。

昨日も一昨日も忘年会だったんですが、飲んでるネタばかりじゃなー、と思っていたのでちょうどよかったです。

とはいえ記録として昨夜の忘年会。神田神保町の蕎麦屋で飲んだ菊正宗の写真をアップしておきましょう。

昨日のお相手は15年ほどのお付き合いになる新聞社のNさん。ほのぼのとした忘年会でした!(^^)!

 

さて、押し詰まったパフの2019年。押し迫ったよのなかの2019年。あと2日とプラス4日。今年の仕事は今年のうちに終わらせてスッキリとした2020年を迎えましょう!

では朝食後、ジョージが逝って悲しみの中にいる喜美子(戸田恵梨香が演じるスカーレット主役ねw)を応援してから行ってきます!

昨日はクリスマスイブでしたね。

僕は夕方から夜にかけて新宿付近にいたのですが、クリスマスっぽい華やいだ雰囲気じゃなかったです。

街角からクリスマスソングが流れたり、街頭でクリスマスケーキが売られていたり、カップルが腕を組んで歩いていたり( ^ω^)・・・そんなのがクリスマスっぽい雰囲気を醸し出すと思うんですけど、そんな風景にはまったく出くわしませんでした。

かくいう僕も、クリスマスの雰囲気ゼロの串カツ田中で昭和のオヤジ飲みだったのですが💦

この串カツ田中さん、今年いっぱいで閉店だそうで店員さんもなんだか寂しそうでしたね。しみじみと語り合うにはいい空気感でしたが……。

 

ところでクリスマスといえば、クリスマスプレゼント。

パフからのクリスマスプレゼントが決まりました!

これです。

じゃん!

はい、本です。

「採用力検定🄬公式テキスト」です。

早ければ1月末(遅くても2月中旬)に書店に並ぶ予定の、日本採用力検定協会監修の採用の教科書ですね。

これをパフの副社長がどーんとパフのコンサル販促用にまとめ買いしてくれるそうなのです。

どんな人にプレゼントするのかというと、第二回検定試験をパフ経由で申込んでくれた企業にもれなく差し上げるとのことです(窓口担当者宛に1冊だけね💦)。

普通に書店で買うと2,420円なのでずいぶんとお得ではないかと。

お申し込みはこちらのページから⇒ https://form.run/@saiyouryoku-dantai

メリークリスマス!と言いながらクリックするのがプレゼントの条件です(ウソ)。

 

さて、世の中はクリスマスでも仕事は休ませてくれません。

ではそろそろ朝食&スカーレット後、行ってきます!

 

昨日は大阪で喧嘩を買うオシゴト。お昼の新幹線に乗って向かいました。

東京から大阪までは約2時間半。新幹線の中では溜まっていたシゴトを片付けるため、関係各位とメールのやりとりをするなどしていました。

集中していたせいかあっという間に大阪に着いたのですが、席から立ち上がると、首、肩、背中、腰が猛烈に凝ってしまっていました。

そりゃあ2時間半も背中を丸くしてノートパソコンと睨めっこしながら小さなキーボードをチマチマ打っていたんだから無理ないですね。

大阪でのオシゴトは移動時間や待ち時間含めてもたったの3時間。

いつもは「せっかく大阪に来たんなら」ということで大阪や京都の知人・友人に会いに行くのですが、昨日はシゴトをしようと思ってとんぼ返りすることにしました。

そしてまた大阪から東京までの2時間半。京都まではシゴトをしていたのですが、首・肩の痛みがピークを迎えておりパソコンは仕舞うことに。パソコンに代えてテーブルの上に並べたのは新大阪駅のホームで買った串カツとビール。

でもグリーン車ではなく普通車両だったため(しかも隣には京都から荷物をいっぱい抱えたお姉ちゃんが乗ってきたため)小さくなりながら飲んでいました。

東京駅に着いた頃にはもうクッタクタ。往復5時間の新幹線はやっぱりツライですね。次回からは一泊することにしましょう。

あ、肝心の喧嘩のオシゴトがどうだったかということは来年2月中旬までお預けです。白黒がハッキリしたら(勝っても負けても)洗いざらいすべてを報告する予定ですので、どうぞお楽しみに(別に楽しみではないですかね💦)。

さてと、ではそろそろ朝食&スカーレット後、行ってきます!

 

先週末の土曜日はヨシカワさんの副社長就任パーティー。

・・・といっても会社の公式行事ではなく、社員の有志たちが企画した内々のパーティーでした。

誰がどのくらい来るかは非公開で、僕も会場に行くまで分からずじまい。

で、行ってビックリ。

あの人もこの人も、あいつもこいつも、彼も彼女も、老若男女、下は1歳から上は60代の方々まで来ていました。

 

総勢で何名だったんでしょうね。

聞くところによると一次会で70名超、お子さんを連れてきた方々もたくさんいましたし、二次会や三次会から来た人もいたらしいですから、全員合計すると100名近くになったのではないでしょうか。

いまは別の世界で活躍している元社員&インターン生たちもたくさん来てくれていたのは嬉しかったですね。

 

僕も一言だけ。ヤジがひどくてすぐ引っ込みましたが💦

 

主役のヨシカワさん👆は最初から最後まで泣いていましたね

 

それにしても、ここまで大勢の方々に祝福されるヨシカワ副社長、恐るべしですね。

来るべき本番は、いったいどんな騒ぎになるのか。来秋オープン予定のフォークソング居酒屋では全員収容できないかもしれません。

でも一か月連続ならなんとかなるかもしれないです。仕方ないので格安で貸すことにしましょう(笑)。

 

この就任パーティーは、二次会&三次会と夜遅くまで続いたようなのですが、僕は別件の用事があったため、一次会が終わってすぐに渋谷に移動しました。

向かうは、東急文化村の近くにあるライブハウスです。

 

2年前に「パフ20周年紅白歌合戦」に出演してくださったバンドSUZURANの久々のライブが渋谷で開催されていたのです。

Tulipの元メンバーもゲスト出演するということで、中学時代からTulipの追っかけファンだったワタナベ(15歳の頃からの悪友)と一緒に行ってきました。

実はこのワタナベは、ヨシカワさんたちの新人時代に営業研修をやってくれていたパフ創業時からの株主で、ホントは副社長就任パーティーにも参加したかったんですが、いま腰を痛めていて立食形式のパーティーは断念せざるを得なかったんですよね。来年は老人にも優しいパーティーにしましょう。

で、話はSUZURANのライブ。

 

いやー、すごかった!

 

こちら👇はリーダーで、ボーカル&キーボード&ギターの日比谷さんのページから借用した写真です

 

往年のTulipの名曲の数々や、マニアしか知らないような曲がたっぷり。完璧な演奏と歌でした。

プロとして活動している方々はやっぱり違いますね。

僕などは、もう恥ずかしくてステージには立てません(なので座りますw)。

どさくさに紛れてSUZURANの皆さんに、来秋オープンするフォークソング居酒屋への定期出演の交渉も済ませてきました。これで毎月100人くらいの集客の目途がたちました(^^)v

 

ということで、就任パーティーもTulipライブも、クリスマス前らしくとても賑やかな週末の土曜日でした。

さて、本日からいよいよ年内最終週です。初っ端の今日は大阪出張。例の売られた喧嘩を買いに行ってきます。質(たち)の悪い相手で、まだやってます。年内にケリをつけたかったんですが、来年まで持ち越しとなりそうですね。

今日のお昼(新幹線で食べる弁当)は、縁起を担いでトンカツ弁当にしましょう。

では、まずは朝食&スカーレット後、行ってきます!

創業から1年半が経過した1999年の夏。新卒一期生のヨシカワさんたちが働き始める約一年前の話です。

このころは7名ものインターンシップ生が無給で働いていました。

以下はそのなかの一人、野口くんというインターン生とのやりとりを「自転車操業物語」から抜粋したものです。


1999年9月末。パフのインターンシップ受け入れ期間は終了した。

インターンシップの中に、野口君という東洋大学4年生の学生がいた。

この野口君、最初の頃は電話がとてもぎこちなくて、ずいぶん心配したものである。

ところが日を経るごとに、みるみる上達していき、他の誰よりも多くのアポをとり、最終的には、営業訪問数はダントツの一位になっていた。

大学ノートにしたためた彼の日報には、日々営業で感じたこと、お客さんの言葉、自分の課題などが克明に記されていた。

決して器用なタイプではないが、コツコツと努力を積み重ね、徐々に実力を開花させるタイプの人間だ。

そんな野口君がインターンシップの期間が終わりに近づいたある日、ボクにこういった。

野口 : 「釘崎さん、俺、悔しいっすよ。夏休みの2ヶ月間、こんなに時間をかけてインターンシップやったのに、ほとんど結果が出なくて。俺いったい何やってたんだか……」

釘崎 : 「でも、お前、一生懸命やってるじゃないか」

野口 : 「何百社も電話して、何十社も訪問して、パフのこと分かってもらえたのは、ほんの数社しかなかったんですよ」

一生懸命やったものにしか分からない悔しさだろう。それだけ彼は、本気で仕事をしていたのだ。

野口 : 「パフのことを、いくら説明しても、人事担当者は全然わかってくれないんです。『話は分かるけど…』っていうけど、実は全然分かってもらえていなかったんです」

人事担当者が悪いわけではない。もちろん野口君の営業が悪いわけでもない。パフは分かりにくい、売りにくい商品だったのだ。

ボクはパフのことを、十分周囲に伝えきれていなかったのだ。いや、その努力を怠っていたのだ。

(後略)


 

この野口くんともうひとり、当時、中央大学3年生だった植杉くんという(インターンシップ研修の初日、焼酎のボトルをラッパ飲みして病院に担ぎ込まれたバカな奴)がいるのですが、昨夜は彼らと久々に会食することになりました。

 

左が野口くん、右が植杉くん

 

植杉くんは大手証券会社の営業マンだったのですが、昨年の夏に起業し、いまは六本木に事務所を構えています。

昨夜の会食場所は、その植杉くんの事務所のすぐそばにある会員制の高級なお店でした。

窓から見えるのは東京タワーと六本木ヒルズ

 

会員になっているのは植杉くんの会社。さすが元証券マン。独立してかなり儲けているようです。どんな悪いことをしているのでしょうか(苦笑)。

ま、それはともかく、昨夜は20年前のことを思い出しながらの楽しい会食でした。

彼らと一緒に働いていたのはたったの2か月間ですが、僕にも彼らにも、とても大き財産を残してくれた日々でした。

だって、20年たっても「こら、野口!植杉!」って言えるわけですからね(笑)。

 

 

20年前の彼らとの日々は「素晴らしき100の出会い」でも書いていますので、興味のある方はぜひこちらもご覧ください。

⇒ <第101話> 「創業2年目のインターンシップたち」

 

昨夜はなんと植杉くんがご馳走してくれました。20年の付き合いで初めてのことじゃないですかね。

「釘崎さん、もう来年は還暦ですか。よく頑張りましたね」なんて言われちゃうし(苦笑)。

ということで、植杉、昨夜はご馳走様! 野口、例の件連絡待ってるぞ(^_-)-☆

 

さて、きょうは早くも金曜日。でも、まだまだシゴトはテンコ盛りです。

では、そろそろ朝食&スカーレット後、行ってきます!