11月が終わって12月へ
2018年11月30日 (金曜日)
きょうで11月もおしまい。2018年もあと1か月でおしまい。パフの20歳もあと12日でおしまい。来月12日には21歳を迎える。ついでに僕は本日58歳を迎えた(笑)。
昨年の今頃は、20周年記念式典に向けて全社員ともバタバタアタフタと準備を重ねる毎日だったのだけど、なんだかもうずいぶんと昔の出来事のようだ。
時の流れはホントにはやいなあ……。
ところで「日記」なので今週の出来事を少しだけ。
一昨日の夜は楽しい宴席にお招きいただいた。
ちょっと前の日記 大分で会いましょう。(2018年6月25日)でもご紹介した大分県の良さを内外に発信するプロジェクト「大分で会いましょう。」。このプロジェクトを推進しているマーケティング会社の社長ほか中心メンバーの方々を、県の広報責任者の方にご紹介いただいたのだった。
大分県の話題はもちろんだが、なぜか井上陽水とか南こうせつとかサイモン&ガーファンクルとかボブディランとか、大分とは全然関係ない話でも盛り上がったりした(あ、南こうせつは関係ありましたねw)。
話が盛り上がりすぎて写真を撮り忘れてしまったので、代わりにホームページに書いてある「大分で会いましょう。とは」をコピペしておきましょう。
「大分で会いましょう。」プロジェクトは、
全国から多彩なゲストを迎えて大分各地で
楽しいおしゃべりを繰り広げる移動型ネットラジオ放送局です。
地元の人たちとも交流し、そこから新しい企画も生まれる
大分のリアルな情報発信局です。
2018年6月から月1回程度、
計8組の生放送及びドキュメンタリー動画をインターネット上で配信。
まだ知られてない大分県の様々な魅力にゲストたちが出会い、
共に語り、共に考える、新しい旅番組の誕生です。
どんな出会いやどんな会話が生まれるのか、そして「何が」起きるのか。
大分についてみんなで語り合うイベントも
東京、大分で開催予定!ぜひ、ご期待ください!
ということで、僕も年が明けたら大分に行こう!
今週の火曜日、採用のBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)におけるトップカンパニーである某社の創業社長Fさんにお会いしてきた。目的は「履修履歴活用コンソーシアム」への加盟のお願い。
F社長は僕よりも5~6歳ほど先輩。元々は日本を代表する製造業の最先端を行くエンジニア。お会いしたことはなかったのだけど、業界の有名人でもあるので存在はもちろんよく知っていた。
お会いしてのお話はたいへんに盛り上がり、また第二弾を築地の寿司をつまみながらやることになった。もちろんコンソーシアムへの加盟も即決してくださった。たいへん光栄でうれしいことなので日記に書き留めておこうと思った次第だ。
他にもいくつかあるんだけど、もったいないので来週の日記ネタにとっておこう(*^_^*)。
さて、今夕は……お、そうだ。大分ではなく「新宿で会いましょう。」だ。大事な話は新宿でしてきましょう。
では、いつものように朝食&まんぷく後行ってきます!
年賀状をやめることにしました。
2018年11月28日 (水曜日)
そろそろ年賀状のシーズン。でも2019年は、会社としての年賀状をやめることにした。
お取引先や過去名刺交換した方々(日ごろパフのメルマガをお送りしている方々)へは、メールによる新年のご挨拶をさせていただくつもりだ。
ここ数年は、この「釘さん日記」でも(元旦早朝の皇居ランのあと)新年のあいさつを書いている。
ちなみに、
2018年は⇒ 2018年もよろしくお願いいたします。(2018年1月1日)、
2017年は⇒ 2017年あけましておめでとうございます(2017年1月1日)、
2016年は⇒ 2016年最初の釘さん日記です。(2016年1月1日)。
なるほど。こうやって並べてみると面白いものだ。ついつい読み込んでしまった(笑)。
紙の葉書の味わいは分かる。捨てがたい気持ちもある。
でも、年賀状を何百枚(会社全体だと何千枚)も印刷したり、書いたりする行為がどうも悩ましい。年賀状が無駄だとは決して思わないが、でも様々な手段でコミュニケーションできる時代でもある。いっそのことここらへんでやめてしまおう、と思ったのだ。
とはいえ「やっぱり紙の葉書で出したい!」という社員もいるので、年賀はがきそのものは必要枚数分(社員から申請があった数だけ)会社で購入することにした。
で、僕個人。プライベートでの年賀状はどうするか。
こちらも原則としてやめようと思っている。
ただ、年賀状でしか繋がっていない方々(メールやSNSでも連絡が取れない方々)にだけは、「俺、まだちゃんと生きてます」という安否を知らせる目的でお出しするつもりだ。
そんな僕でも、年賀状に命を懸けていた時代もあった。
小学生、中学生のころの話だけど、好きな女の子たち(なぜか複数w)に正々堂々と手紙を送れる唯一の手段が年賀状だった。
直接的な表現ではなく、暗に好意を寄せていることを示唆するようなメッセージを頭を捻りながら、何回も何回も書き直していた。
元旦の朝は、郵便受の前で年賀状が届くのを今か今かと待っていた。
そして届いた年賀状の束の中から、お目当ての女の子からの葉書をドキドキしながら探したものだ。
お目当ての葉書を見つけたときの感動。ありきたりで素っ気ないことしか書かれてなかったときの落胆。でも、その素っ気ない文章や筆跡に少しでも意味を見出そうとしているいじらしい自分……。あ、やっぱり年賀状っていいもんですね(笑)。
と、そんな未練を残しつつも2019年の年賀状を出さないご無礼をお許しくださいm(__)m。
さて。あ、今宵は小中学生のころに知り合っていたら絶対にドキドキしながら年賀状を出したであろう方との会食だ。
では夜を楽しみにしながら、まんぷく後、行ってきます!
平成が終わる前に明治を想ふ
2018年11月26日 (月曜日)
明治というとずいぶん遠い昔のように思える。
でも、明治元年は1868年。たかだか150年前のことだ。明治から大正になったのは1912年のことだったので、現在106歳以上の方々は明治生まれということになる。まだまだご存命の方々もいらっしゃる。僕の祖父母も(すでに故人ではあるが)明治生まれだった。
ちなみに来週から「西郷どん」で描かれるであろう西南戦争は明治10年、日清戦争は明治27年、日露戦争は明治37年。なんだか、遠い昔なのか、意外と最近のことなのか、よく分からないですね(;^_^A
日本の多くの大学が創立されたのも明治の時代だ。そのまんまの名前が付いた明治大学は明治14年、僕の母校でもある明治学院大学は明治20年が創立の年とされている(起源とされるヘボン塾はそのずっと前だったようだけど)。
まあ、いずれにしても近代日本の幕開けが「明治」という時代だったわけで、その後、大正、昭和、平成、そして来年からの新元号へと時代は継承されていく。
僕は(何事もなければ)昭和⇒平成⇒新元号の3つの時代を生きることになるのだが、まだ自分の影も形もなかった明治という時代になぜか郷愁を感じてしまう。小学校のときに習った文部省唱歌の多くが明治時代のものだったからかな。
で、話はがらっと変わるけど、昨日、明治を象徴する場所に行っていた。
ここである。
wikipediaより
そう、明治座である。
公式HPより
この明治座が創設されたのは明治6年。以来、火災や、関東大震災や、東京大空襲などに見舞われて幾度となく立て替えられながら、現在ではこの立派なビルの中に劇場が収まっている。
昨日、東京に来て初めて、明治座で演劇を鑑賞した。
これである。
そう、「魔界転生」。学生のころ、千葉真一(柳生十兵衛)と沢田研二(天草四郎)が主演を務めた映画がヒットしていたので、なんとなく内容は知っていたけれど、きちんと観るのは(原作の小説も当時の映画も観たことがなかったので)初めてだった。
幕間の休憩時間を入れて約4時間の長い上演時間だったが、最後まで飽きずに鑑賞することができた(最後のカーテンコールがいちばん面白かったw)。
演劇そのものの感想は、またいつか気が向いたら。次は明治村にでも出かけてみようかな(^^)v。
では、いつものように戦後の昭和を描いた「まんぷく」を観てから行ってきます!
さし飯
2018年11月21日 (水曜日)
法政大学キャリアデザイン学部では、学生たちが「さし飯」という企画にチャレンジしている。「社会人とサシで昼飯を食べながらいろんな話をする」というもので、パフがやってる「100×10チャレンジ」のような一種の社会人訪問企画だ。
先ごろ同学部教授の梅崎先生より「学生からアポイント依頼があったらランチタイムに一緒にご飯を食べながら話をしてやってほしい」という依頼があった(実際にはもっと詳しい説明と丁寧なご依頼ですw)。
断る理由は何もない。「何人でもお引き受けしますよ~」と回答していた。
で、昨日、1名の学生が僕のところに来訪してくれた。午後から客先での打合せで外出しなければならなかったので「さし飯」を「はや飯」にしてもらったうえで。
やってきたのはオオモリ君という大学三年生。ゼミの研究の一環で、長野県飯田市の町おこし活動を懸命にやっている好青年だ。
僕の学生時代の話、就職先を選んだ時の話、仕事がまったくできなかった新人時代の話、起業までの話、パフをつくってから21年間の話…etc.
あっという間に時間が過ぎて、気が付けば予定していた12時半を回ってしまっていた。
パフの事業の話はともかく、58歳のオジサンの昔話がどれほど役に立ったかは分からないけど、少なくとも僕自身には為になるものだった。
学生の純な質問に答えることで初心にかえることができたし、親子以上に年が離れてしまった僕でも、学生の立場や気持ちを多少は理解できるようになった。
これからも積極的に「さし飯」の学生を受け入れていきたいと思う。
あれ?そういえば今年は100×10チャレンジの学生が誰も僕のところに来ていない。灯台下暗しなのか、社長っていうことで敬遠されているのか。ちょっと寂しいですね(苦笑)。勇気ある学生諸君、ぜひパフ社長のもとへ。お弁当くらいご馳走しますよ~。
さて、本日は学生ではなくメインバンクの行員が僕のところに来訪する予定。もう50歳を過ぎたオッサンですけどね(笑)。
では、朝食&まんぷく後、行ってきます!
史実と違っていてもいいじゃないか。
2018年11月19日 (月曜日)
NHK大河ドラマ「西郷どん」もいよいよ大詰め。
昨日は西郷が征韓論に敗れ、下野するところまでが描かれた。来週からはついに西郷の最期に向けて、悲しくも壮絶なドラマが描かれることだろう。
僕は「西郷どん」の第一回からずっと欠かさず楽しみに観ている。大久保利通という、西郷を語るには欠かせぬ盟友。島津斉興、島津斉彬、島津久光といった性格の全く異なる島津家当主たち。岩倉具視など(たぶん実在の人物より数倍も)際立ったキャラを上手に描きながら、面白いドラマとして仕立て上げている。いとや愛加那といった強く可憐な妻たちの姿もいい。もちろん主役の西郷どんを演じる鈴木亮平の役作りにも感心してしまう(とくに終盤の太りかたはスゴイ)。
だが、ネットでは酷評する人たちが少なからずいるようだ。気にする必要はないのだが、興ざめしてしまう。
人それぞれの感想はあるし、好き嫌いもあるだろうから酷評するなとは言わないが、その理由が「史実と違う」というのは、ちょっと違うんじゃないかと思う。あくまでドラマなんだからフィクションが混じっていてもいいじゃないかと僕なんかは思う。史実だって、その後の研究や文書の発見で更新され続けているのだし。
僕が毎朝楽しみに観ているもうひとつのドラマ「まんぷく」にも史実と違うという批判があるようだが、それこそお門違い。日清食品の創業者やその妻をモデルにしていたとしても、ドラマは伝記などではない。名前だって変えている。フィクションとして自由に描いているからこそ、あれだけ面白いドラマに仕上がっている。
ついでに言うと、昨日観た映画「ボヘミアンラプソディー」にも「事実とは違う」という批判があるらしい。実際「事実と違う」のかもしれないが、映画の出来はスバラシイ。
そもそも史実や事実ってなんだ?その通りに描かないとダメなのか?
とすれば、大河ドラマがたとえ一年間だったとしても、人の一生を描くにはとてもじゃないが尺が足りない。映画なんて2時間そこそこで描かなきゃいけないわけだから、主題を何にするかによってクローズアップするところや切り取る箇所も違って(事実とは異なるところがあっても)当たり前。そこにいちいち目くじら立てていたんじゃ、何にも楽しめないのではないかと思ったりする。
ちょっと脱線してしまったけど、まあ、そんなわけで残りわずかとなった「西郷どん」。来週も楽しみにしたい。思い切って史実を捻じ曲げて、城山での自害を止めさせてしまうなんてどうだろうか。さすがにそれじゃあんまりかな(笑)。
毎日の「まんぷく」も、これからどうなるかワクワクするし、「ボヘミアンラプソディー」ももう一回観に行きたいですね。
では、新たな局面を迎えそうな「まんぷく」後、行ってきます!
名古屋はとなり町?
2018年11月16日 (金曜日)
今週の火曜日のこと。パフのホサカは夕方から名古屋で人事向けセミナーの講師を行っていた。名古屋の名物、名大社さんとのコラボセミナーだ。
予約受付を開始したらすぐに満席になってしまい、今月末に追加開催するらしいのだが、それもまたすでに満席となっているそうだ。
一方で、同じ日・同じ時間に、名古屋本社の採用広報プロフェッショナル、ジオコスの伊藤社長(いつもは、秀<しゅう>さんって呼んでます)をパフのセミナールームにお招きしてのセミナーを開催していた。
こちらも満員御礼。しかもアンケートは「たいへん満足」のオンパレード。すでに商談に結びついている会社がいくつもある。何を隠そう、秀さん(伊藤社長)はパフの採用ホームページ「あえて、パフ」の産みの親でもあるのだ。
さらに昨日は、名古屋から名大社山田社長がパフの社外取締役として経営会議に参加するために東京にやってきた。夕方17時から19時半まで、愚か者の顔を隠しての真面目な議論をパフの役員陣と交わし、その後も近所の寿司屋で真面目な意見交換は続いていった。気が付けば23時の閉店時間となっていた。
ということで、このところ名古屋との往来が多くて(ナゴヤドームでのリレーマラソンや若手研修なんかも記憶に新しい出来事だし)、まるで「となり町」のようだ。リニアモーターカーが開通すると、その距離はさらに縮まるのではないかな。交通費が500円くらいで済めば、言うことないんですけどね(笑)。
さて、本日は全国各地から20数名の来客。そう、Fネット(ふるさと就職応援ネットワーク)の例会の日なのだ。日本中の距離が縮まる日ですね。
では、朝食&まんぷく後、行ってきます!
おとといは学者先生たちと一緒でした。
2018年11月14日 (水曜日)
一昨日の月曜日は、夕方より法政大学に出かけた。
法政大学は現在のパフの事務所のすぐそば。徒歩15分程度で到着した。
訪問の目的はこれだ。
そう、シンポジウム。
法政大学キャリアデザイン学部主催のシンポジウムなのだが、同学部教授の梅崎修先生のお招きで参加させていただいた。
発表者は、
我が日本採用力検定協会の理事でもある神戸大学経営学部准教授の服部泰宏先生、
労働経済学者として最近いろんなところでお顔を拝見している日本大学経済学部教授の安藤至大先生、
産業組織心理学者の立場でキャリアを論じておられる法政大学キャリアデザイン学部教授の坂爪洋美先生、
といった贅沢な顔ぶれ。
まずはお三方から「選択過剰時代のマッチングを考える」というテーマを基にした講演。そしてその後、梅崎先生がファシリテーターとなっての、お三方でのパネルディスカッション。
いずれも聴き応えたっぷりであり、民間企業である我々が日頃実施しているセミナーやシンポジウムとは一味も二味も違った興味深い内容だった。
特に4人の先生方によるパネルディスカッションは圧巻。事前の打ち合わせはほとんどしていなかったらしい(後から聞いた)のだが、ばっちり噛み合っており、かといって予定調和などでは決してなく、ファシリテーター(梅崎先生)の投げかける難しい問いに、皆さん気持ちいいくらい明快に答えていた。
ところで、シンポジウムには先生方とも懇意にしているマイナビ栗田さんも参加しており、終了後「軽く飯でも行きましょうか」となったのだが、梅崎先生から「一緒に行きましょうよ」とお誘いを受けて、神楽坂の居酒屋に先生方と一緒に繰り出すことになった。
服部先生は社会人大学の授業があったため残念ながらご一緒できなかったのだが、梅崎先生、安藤先生、坂爪先生、そしてマイナビ栗田さんとの予想外のシンポジウム第二部とあいなった。
これがまた最高に面白い。先生方の裏の裏の裏(中の中の中もあったかなw)のお話までお聞かせいただき、ビール&ハイボールもどんどんと進んでいったのだった。
それにしてもこの3人の大学教授。僕よりもずいぶんと若い。大学教授が僕より年下っていうのはずいぶんと違和感。自分のトシをあらためて感じてしまうのでした(^^;
昨日は一転、夜は音楽の先生たちとずっと一緒だったのだが、その話はまた今度。
さて、本日は朝から会計や税務や労務の先生との打合せ。先生方、頼りにしてます、よろしくお願いしますm(__)m。
では、まんぷく&朝食後、行ってきます!