上杉家の家訓を読んで感銘を受けた日
2009年5月31日 (日曜日)
日曜日の夜は、NHK大河ドラマ『天地人』を観ることが習慣となっている。
妻夫木聡が演じる直江兼続は、戦国武将にしては優男(やさおとこ)過ぎて「どうかな?」と思っていたのだが、なかなかどうして。最近は、このキャラが逆に、「こういうのもありかな」と、好意的に思えるようになってきた。
このドラマのなかでよく出てくるのが「それが“上杉”というものだ」という台詞。上杉イズムというのだろうか。上杉の行動指針というのだろうか。若き上杉景勝や直江兼続が、難しい判断を迫られたとき、拠り所とした考え方。ひとことで言うなら、 『義』であり 『信』であり 『愛』なのだろうが、もう少し体系的なものもあったんじゃないかなと思い、ちょっと調べてみたら、あったあった。
『上杉家家訓十六ヶ条』というもので、上杉謙信が残したと言われている。
読むと、「なるほどなあ…」と感銘を受ける言葉ばかり。
のちに江戸時代屈指の名君と呼ばれた上杉鷹山(ようざん)にも、きっとこの家訓が大きな影響を与えたんだろうなと推察できる。
せっかくなので、下に書き写して、僕も定期的に読むことにしよう。
【宝在心】
一、心に物なき時は心広く体泰なり
一、心に我儘なき時は愛敬失わず
一、心に欲なき時は義理を行う
一、心に私なき時は疑うことなし
一、心に驕りなき時は人を救う
一、心に誤りなき時は人を畏れず
一、心に邪見なき時は人を育てる
一、心に貪りなき時は人に諂うことなし
一、心に怒りなき時は言葉和らかなり
一、心に堪忍ある時は事を調う
一、心に曇りなき時は心静かなり
一、心に勇ある時は悔やむことなし
一、心賎しからざる時は願好まず
一、心に孝行ある時は忠節厚し
一、心に自慢なき時は人の善を知り
一、心に迷いなき時は人を咎めず
そう。すべては心が決めるのだ。
パフの職学校の校訓である『職業に貴賎なし』の考え方にも通じる。古今東西、大事なことはいつでも同じなんだよな。
カスタマエンジニアとなった日
2009年5月30日 (土曜日)
僕の自宅には、娘と、娘のお母さん(カミサン)が使っているデスクトップPCがある。僕も、楽譜を印刷したり年賀状を印刷するときに使っている。
で、このPCに接続しているプリンタが先日壊れたらしい。
4年ほどまえに、1万円ちょっとで買った超低価格のプリンタだったので、いつ壊れてもしょうがないと思っていた。むしろ、よくこんなに長いあいだ使えたものだと感心する。
プリンタは、娘が学校の勉強のために結構使うらしいので、新しいのを買うことにした。
有楽町のビックカメラに行き、いろんな製品を物色したのだが、せっかく買うならということで、今回は性能が高く、機能も充実しているプリンタを購入した。
かなり大きめで重かったのだが、ぶら下げて持って帰った。
ヨタヨタと家に辿りついた後、さあ、組み立てだ。
せかくなので、ぐっちゃぐちゃになっていた我が家のパソコンと周辺機器類との配線や、ラックへの設置レイアウトをすべて見直すことにした。実はPC本体が2台並んでいる(ディスプレイは1台を切り替えながら使用している)ため、結構、配線が複雑なのだ。
LANや外付けのハードディスクやスピーカーとの接続をすべてやり直し。長すぎる線は、束ねて短くしたり、テーブルタップをすっきりまとめたり。掃除機で裏側に溜まった埃を吸いとったり。
悪戦苦闘の約3時間の作業だったが、夕方には、ほぼ完了。なかなかスッキリした。新しいプリンタも快適。印刷スピードは速いしキレイだ。
いやあ、満足、満足。
「日曜大工」ならぬ、「土曜カスタマエンジニア」となった日であった。
イベントの講演で歌った日
2009年5月29日 (金曜日)
昨日の日記にも書いたとおり、本日は、「採用・教育の最新動向がわかる合同セミナー2009」の二日目。
本日は5コマの講演が行われる予定で、僕の講演は、朝11時からのトップバッターだった。
が!!
きょうの東京は、朝から土砂降り。暴風雨並みの酷い雨だった。
こんな土砂降りの中、参加義務があるわけじゃないイベントに出かけるなんて、相当な勇気と根性と責任感とチャレンジ精神のある人だ。
さて、そんなすごい人がいるのか。参加者がゼロ人だったらどうしようとドキドキしながら、会社から徒歩10分の会場まで歩いて向かった。
それにしても凄い雨と風。傘を差していても、横殴りの雨と、地面から跳ね返ってくる雨水とで、僕のスーツは、ビッショビショになってしまった。ズボンの折り目なんて、もうすっかりなくなっている。もはや破れかぶれである。
会場に着くと、ゲストとしてお招きしていたマングローブの今野社長がすでに到着していた。さすが、ストイックな今野さん。大雨の中をかいくぐってやってきたのに、なにごともなかったかのような涼しい顔をしている。
その後、今野さんと司会役の伊藤と簡単に打ち合わせ。
僕は今野さんに、 「えっと、低いパートを担当してもらいたいんですが…」 と、いきなり切り出した。
すると今野さんは、 「本当にやる気ですか?」 と呆れていた。
このあと、いろんなやりとりがあったのだが、結局、今野さんを対談以外の部分で巻き込むのは断念。根回し不足であったと反省した。
そして、いよいよ11時に本番が始まった。
心配された来場客の数・・・。
事前の打ち合わせで、「10人以下だったら帰っちゃいましょうか」と、今野さんと話をしていたのだが、数えてみると、どうにか20人程度には達していた。
「10人以下だったら帰る」というのは冗談にしても、まあなんとかカタチになりそうだったのでホッとした。
それにしても事前の予約申込みでは60人くらいはいたはずなので、出席率30%程度だ。まさか採用担当者ともあろう方々が『無断欠席』なんかしていないことを祈る。じゃないと学生のドタキャンを注意することなんてできないもんね。
さて、やっと本日の日記で報告すべきところまで辿りついた。
冒頭の会社紹介のとき、ついにやった。
歌ったのだ。
・・・“ぱっふ、ざ、まーじっく、どらーごん、りーぶ、ばい、ざ、しー”と、いつものやつを。
客席の20名はもちろんのこと、後方で野次馬のごとく立ち見していた同業者の皆さんの唖然とした表情や、歌い終わった後のシーンとした空気が、たまらなく愉快だった。
きっと、どんなリアクションをしていいかわからなかったのだろう(苦笑)。
隣に座っていた今野さんも、身の置き場に困ったことと思う。可哀そうに。だから「低いハモリのパート」を担当すれば良かったのだ(次回はやりましょうね)。
それにしても、絶対他の会社がやらないようなことをやれて満足だった(歌を唄ったっていうことだけなんですが、苦笑)。
そうそう。肝心の講演の中身なのだが、これも今野さんをゲストとして迎えての対談形式をとったおかげで、他社の講演とはちがった、聞きごたえのあるものになったんじゃないかと思う。これは他社に真似されそうだな。
いま気づいたんだけど、講演の写真を撮ってなかった!!
しくじった。
7月にも同様のイベントが開催されるらしいので、主催者のT社長にお願いして、もう一度同じ構成でやらせてもらおうかな。
そうだ()。次回はギターを担いでいくことにしよう。
採用担当者向けイベントの一日目だった日
2009年5月28日 (木曜日)
きょうと明日の二日間。パフは、採用・教育担当者向けのイベントに出展している。
「採用・教育の最新動向がわかる合同セミナー2009」という、そのまんまの名称のイベントだ。
場所は、パフから歩いて10分足らずのところにある、浜離宮朝日ホール(朝日新聞本社ビルの脇)だ。
採用や教育研修に関連する事業者14社が一堂に会し、来場する企業の採用・教育担当者に、自社のサービスを紹介している。
僕は、ほぼ終日、このイベントに張り付いていたのだが、会話をしたのは同業者の方々とが中心だった。8年ぶりくらいにお会いする企業の代表者の方もいて懐かしかった。大手ナビの編集長や、大手学生コミュニティサイトの責任者の方も訪ねてきてくださり、いろいろな情報交換も行えた。
営業現場ではライバル関係の同業者の皆さんであるが、悩みや課題は共通している。競うべきは競い、協力すべきは協力するような関係づくりができたらなと思う。
ところで明日(この日記をご覧の皆さんにとっては本日の29日、金曜日)は、僕が来場者の皆さん向けに講演する。
他社とは全然違う形式の講演なので、眠くならないんじゃないかと思う。
実は、講演ではなく対談形式で行う。
ゲストとしてマングローブの今野社長をお迎えする。
パフとマングローブとで協力して行った、とある会社の、採用と、人事制度改革、組織活性化施策の事例をご紹介する予定だ。
マングローブの今野社長といえば、『おやじバンドMSP』のMとしても有名(?)である。
せっかくMとPが一緒に登場するんだから、やってみたいこともある(不吉?)。
皆さん、お時間がありましたら、どうぞご来場ください!!
詳しくは以下をクリックしてご覧ください。↓
『人を育てる』を書く日
2009年5月27日 (水曜日)
日経新聞朝刊の最終面(文化面)に、『交遊抄(こうゆうしょう)』というコラムが連載されている。
毎回、各界の著名人が登場し、自分のこれまでの人生のなかでの、忘れ得ぬ人との出会いや交流の話を語る企画だ。
昨日のコラムの語り部は、リクルートエージェント社長の村井満さん。いまから26年前の、新入社員時代のお客様の話を書いていた。
僕はこのコラムを、嬉しく、懐かしい気持ちで読んだ。
なぜかっていうと、僕は26年前、この村井さんと一緒に仕事をしていたからだ。
舞台は、日本リクルートセンター(現リクルート)の神田営業所。所長は当時30歳ちょっと。他のメンバーたちは皆、20代の若い連中ばかりだった。
このコラムに登場する、秋葉原の(当時は)小さな会社(栄電子)のこともよく覚えている。営業所内で、毎日のように話題に上っていた会社だった。
村井さんは新入社員でありながら、この会社の営業担当者として、あらゆる課題に取り組んでいた。昔のリクルートは、単なる『媒体売り』の営業ではなく、お客様に必要であると判断すれば、どんなものを提供しても良かった。ホントの意味で、お客様と並走するパートナーだったのだ。
当時、中小企業が優秀な大学生を採用するのは極めて難しいことだったのだが、我が神田営業所のお客様は、ほとんどが中小企業。皆、知恵を絞りながら、お客様の採用成功に向けて、懸命に取り組んでいた。お客様と一心同体になりながら汗をかいていた。涙も流していた。
だから26年経ったいまでも、当時のことは忘れない。
僕らは、お客様のことを、人の採用を通じて育てていたつもりだったのだが、育てられていたのは、実は僕たちのほうだった。
お客様に傾ける愛。お客様から頂戴する愛。このふたつの愛が、人と会社を育ててくれたのだと思う。
盟友との楽しい会食だった日
2009年5月26日 (火曜日)
この年齢になって、「友」と呼べる人がいることのありがたみを、痛切に感じる。
「友」という言葉を辞書で引いてみると、「志や目的を同じくする人。仲間。同志。」という意味が出てくる。
僕が友という言葉を使うときは、いつも上記のような意味合いのときだ。特に、事業上の真のパートナーのことを呼ぶときには「盟友」という言葉を僕は好んで使う。
きょうは、そんな友=盟友と、楽しくまじめな会食を行った日だった。
今夜の盟友はふたり。M社のI社長と、D社のS専務である。
ふたりともこの日記によく登場する人物である。が、不思議なことに、いままでふたりが顔を合わせる機会がなかった。
きょうは、ふたりをお引き合わせするために、I社長とS専務にわざわざパフまでご来社いただいた。
バカな話と真面目な話を織り交ぜながらのミーティングを一時間少々行った後、東銀座のシャレた店で会食を行った。
僕にとってはふたりとも、気ごころの知れた「盟友」なのだが、I社長とS専務は、きょうが初めての対面。
普通なら緊張の場となるところだが、そんなことは最初から最後まで一切なかった。
I社長もS専務も旧知の仲であるかのごとく、最初からうち解け合い、互いの会社の(普通なら言えないような)課題を語り合った。
なんというか、とても清々しい空間だったのだ。
最後はI社長のM社と、S専務のD社と、僕のP社とで、ボウリング大会を実施することまで決まってしまった。
ボウリング大会は、この3社だけじゃなく、なぜかMSPのひとり、S社のS社長を仲間に引きずり込むことまで勝手に決めてしまった(Sさん、このことはまたあらためて。断れませんよ、笑)。
冒頭に書いたように、「友」の存在は、ホントにありがたい。いつまでも大事にしていきたい「友」がいる幸せを感じながら、今夜はそろそろ寝ることにしよう。
一日が短すぎると感じた日
2009年5月25日 (月曜日)
社長の仕事には、社員にはなかなか言えないものが多い。
そういう仕事(主として交渉のための材料集めや資料づくり)は、自分ひとりで行うしかない。
簡単な内容ならいいのだが、難しいことや細かいことを相手から求められることもある。
すると、資料もそれなりに細かなものを作らざるを得ない。数字やグラフを羅列した細かい資料作りである。
・・・これって結構たいへんなんですわ。
何がたいへんかというと、最近、老眼が酷くって(苦笑)。
それから、もうひとつ。
パソコンが苦手になってしまったのです(大苦笑)。
昔はそんなことなかったんだけどなあ……。
きょうも、黙々とやるわけなんだけど、自分が想定していたよりも随分と時間がかかる。
僕のすべてのスケジュールはオープンになっていて、全社員が閲覧できるようになっている。
そして空いている時間帯は、社員が自由に僕の予定を押さえて、客先に連れ出したり、打ち合わせを設けたりすることができるようになっている。ついさっきまで空いていたはずの時間が、何の前触れもなく押さえられているなんてことも、よくある。
そうすると、資料作りに割くことのできる時間は、より限定的になってくる。睡眠時間を削るなんてこともでてくる。
うーん。まずい。終わらないぞっ。
・・・と、この日記で愚痴ってる暇があったら、とっとと早くやれっていう話ですよね。
仕事に戻ります!!