パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

きょうで2月もおしまい。明日からは新卒採用業界にとっては怒涛の3月が始まる。というか、すでに現場では怒涛が始まっている。連日、猫の手も借りたいような日々だ。

僕もついに猫の手になってしまって、昨日は秋葉原で開催された企業7社✖学生200人のイベント(かの有名なシェア活というイベント)に学生の誘導スタッフとして駆り出されたりもした。とはいえ、ほとんど使い物にならなかったけど(苦笑)。

 

 

パフ自身の採用も佳境を迎えており、これから本格的な選考が始まって3月末には最終合格者が確定しそうな勢い。「内定者も4月入社の新人といっしょに教育しちゃえ!」なんていう乱暴な声も出ている(出しているのはヨシカワや僕だけどw)。

なにしろ遂にシーズン到来っていう雰囲気。

このシーズン真っただ中の3月なのだけど、そろそろ事務所移転の段取りも終えなければならない。

そして4月末のゴールデンウイーク前半の3日間で移転作業。5月1日からは新事務所で新たなスタートを切ることになる。

おカネも一時的にたくさん飛んでいく。そのぶん現場にはガッチリ稼いでもらわないとね(#^^#)。

ほかにも(まだオープンにはできないのだけど)資本政策上の大仕事もあったり、新法人の設立もあったり。あ、そうそう。その関係でウン百万円もの買い物を(僕個人として)しなければならなかったり。

てなわけで、「1月往ぬる2月逃げる3月去る」と言われるけれど、そしてそのとおり1月と2月はあっというまに過ぎ去ったのだけど、3月はそう簡単に過ぎてくれないだろう。事故のない、ちゃんとした毎日を過ごして、新しい季節を迎えたいものだ。

さて、本日は移転関係のお仕事で、いつもより30分以上早く会社に行かなければならない。

ぱぱっと朝ご飯を食べてから行ってきます!

 

銀行員に電話で説教した日

2018年2月27日 (火曜日)

昨日の夕方、某旅行会社さんにお支払いするための現金が必要だった(希少な人気乗車券を予約してもらっていた)ので、茅場町にある某銀行のATMに立ち寄った。

旅行会社さんにお渡しするのは壱万円札4枚と千円札5枚。ハダカで渡すのは失礼かと思い、銀行の封筒が設置してある棚を覗いた。

が、残念ながら封筒は切れていた。

なんだよ、封筒くらいちゃんと補充しておけよ・・・と思ったのだが、次の瞬間、ATMの脇に封筒が1枚落ちているのを発見した。

お、ラッキー♪ その封筒を拾い上げようとした。

あれ?

なんかおかしい。封筒がなんだかふっくらしている。

拾い上げてみてびっくり。中には壱万円札が壱千円札と合わせると10枚くらい入っていたのだ。僕にしてみれば大金である。

きっと誰かが忘れていったのだろう。おろした人がすぐに戻ってくるかもしれないので放っておこうかとも思ったのだが、盗まれてしまう可能性も高い。

マジメな僕はw、ATMに設置されている電話で銀行のスタッフを呼び出して、現金入りの封筒が置き忘れられている事実を伝えた。

そこからである。僕がアタマに来たのは。

 

釘「いま茅場町のATMなんですが、現金入りの封筒が置きっぱなしになってます。これ、放っておくと盗まれちゃいますからすぐに取りに来てください」

銀「あー、そうですか。そこのATMは無人なものですから近くの交番に届けていただけますか?」

釘「え?」

 

耳を疑った。こいつ、何を言ってるんだ?

ちょっと語気を強めて

 

釘「ちょっと、何を言ってるんですか?道に落ちてるわけではなくて銀行の店舗の中に置き忘れられているんですよ」

銀「はあ、しかし無人で誰もすぐには行けないものですから」

 

僕はいよいよアタマにきて、かなり激しい口調で

 

釘「おい、ちょっと待て。無人かどうかはあなたの銀行の勝手だろ。僕は次の約束があって交番に行ってる時間なんてないんだよ。このままこの現金を放置してもいいのかい?近くの有人店や警備会社からスタッフを寄こすこともできないのかい?」

 

僕の激しい口調に銀行員は慌てたようで

 

銀「し、少々お待ちください」

たぶん上司の指示を仰いでいたのだろう。

銀「やはりスタッフがすぐに行くことが出来ませんので、たいへん申し訳ないのですが店舗の壁にポストのような連絡BOXがありますので、そこに封筒を小さく折りたたんで投函していただけますでしょうか」

 

なんだよ、やっぱり誰も来ないのかよ、と思ったが、まあ連絡BOXの中に入れておけば盗まれることもあるまい。その指示に従うことにした。

 

釘「分かりました。ちゃんと入れましたからね。早く来て、きちんと処理してくださいよ!」

 

・・・・・・これが昨日の午後4時30分~4時40分にかけての10分足らずの出来事である。

 

それにしてもこの銀行の対応はマズイ。これが落し物とかではなく、もっとヤバイ犯罪行為がATM店舗内で行われていたらどうしたんだろう。

「無人だから誰も行けませんでした。ゴメンナサイ」で終わらせるのだろうか。

省力化は結構なことだが、犯罪につながりやすいお金を扱う仕事。想定外の出来事があったとしてもキチンと対応してほしい。

臨機応変な対応ができないのならば、それこそAIスピーカーを相手にしたほうがまだマシ。人間の行員なんて不要だっていうことになってしまいますからね。

R銀行さん「大喝!」だよ( `ー´)ノ

 

さて、本日は方々でパフのお客様&学生向けのイベントが開催されるらしい。4か所くらいかな?

人員が不足しており、僕も秋葉原のイベント会場で受付や誘導スタッフとしてアサインされてしまった。臨機応変な対応ができずに怒られたらどうしよう(苦笑)。

では、朝食後いったんは茅場町まで行ってきます!

先週末は、パフパフシスターズとしてもおなじみの、カホちゃんことヨコヤマの結婚式。

 

いやー、きれいですね~(#^^#)

 

ヨコヤマは入社3年目(この4月で丸3年)。同期入社の社員はおらず、ひとりでこの3年間、ひたむきに頑張ってきた社員だ。

マジメな性格で仕事も慎重に進めるタイプ。それが行き過ぎてトロい(遅い)と評されることもあるのだがw、結婚だけは超スピードだった。というのも、すでに昨年のアタマには籍を入れたのだ。

昨年の今ころ「クギサキさん、ちょっとよろしいでしょうか」と別室に呼ばれた僕は(え!まさか会社辞めるんじゃないだろうな・・・)と内心ドキドキしていたのだけど、「実は、このたび籍を入れることになりまして…式はまだなのですが・・・」という報告を受けたのだった。

相手は大学時代から付き合っているコマツくん。なかなかの好男子である。

 

式には、ほぼすべての社員が参加して、ヨコヤマの新しい門出を祝った。

 

 

 

僕はお祝いのスピーチに代えて「青春の影」を歌ったのだけどムチャクチャに緊張してしまった。自分のライブの比ではない。なんたって会場の90%は初めて会う方々。しかも、主賓挨拶に続けての2番バッターで乾杯の前(こんなに早い登場だとは思っていなかった💦)。今まで何人もの社員の結婚式で歌ってきた僕だけど、緊張度ダントツの式でしたね(;^ω^)。

 

それはともかく、ヨコヤマほんとうにおめでとう。

ヨコヤマの結婚で落ち込んでいるファンたちも多いと思うけど、パフパフシスターズには、またヨコヤマに負けず劣らずの可愛い女子を見つけてスカウトしましょうかね(^^♪

 

アーン…って勝手にやってろって感じ(笑)

 

しかしまあ、ホント可愛いねー

 

最後のお父さま、お母さまへのご挨拶では、もらい泣きさせていただきました(´;ω;`)ウッ…

 

この週末は、ヨコヤマの結婚式以外にも、(出場はしてないけど)東京マラソンだったり、平昌オリンピックだったり、感動的なことがたくさんあった。

次の結婚式(当分なさそうだけどw)では、SEKAI NO OWARIの「サザンカ」でも歌おうかな。

夢を追う君へ 思い出して  くじけそうなら いつだって物語の主人公が立ち上がる限り物語は続くんだ♪

 

さて、2月も今週でおしまい。きょうは大事な仕事が待っている。では、ウォーキングで行ってきます!

 

オヤジたちの新年会

2018年2月23日 (金曜日)

昨夜は60歳前後のオヤジたち5人が集まっての新年会。

このうち4名のオヤジ(イシヤマさん、ウラタさん、クニさん、ボク)は、年1回は必ず集まって飲んでいる。もう10年以上になるかな。真骨頂は、2009年の秋に4人で出かけた岡山研修旅行。閑谷学校や大原美術館や後楽園・岡山城などを訪ね歩いたこともあった。

今年の集まりは、渋谷の百軒店(ひゃっけんだな)。昭和のオヤジたちにとっては懐かしい場所だ。

 

 

学生時代(確か僕が2年生のころだった)学園祭の打ち上げでこの界隈で飲んでいた。酔っぱらった僕は、先輩と化粧品店の前でジャレて転んでしまった。転んだ勢いで化粧品店の前に置いてあった棚に衝突。陳列してあった商品を道路にドバーッとばら撒いてしまったことがある。さんざん怒られた。そんな思い出の地なのである(笑)。

あ、そうそう。道頓堀劇場にも何回か行ったことがある。純情だった僕はいたく感激したものだ。

当時から40年近く経った百軒店界隈での新年会。もちろん暴れて転ぶこともなければ道頓堀劇場に乱入することもなく、大人たちの品のいい(とも言い切れないけど)飲み会だった。特に若いころの恋バナは盛り上がって楽しかった。

一昨日、突然亡くなった大杉漣さんは僕らより少し年上なだけ。これはやっぱり僕らにとってはショックで、自分たちもいつそうなるか分からない。だからこそ、やりたいことをやれるときにやっておこう、なんていう話にもなった。「昔好きだった人に再会するならば今しかない!」なんていう話だ。僕はしょっちゅう再会してるので関係ないが(笑)。

年1~2回程度(しかも途切れることなく毎年)いっしょに飲む仲間がいるというのはいいもんだ。あと10年くらいは続けたい。次回は道頓堀劇場に足を運んでみるのもいいかな(#^^#)。

ところで、明日はヨコヤマの結婚披露宴が渋谷で執り行われる。僕は恒例の弾き語りをやることになっているのだが、ちょっとは練習せんといかんな。今夜は早めに帰宅して2月3日のライブ以来指一本触れていなかったギターを取り出そう。ピアノ(みね子)にも久々に触れてあげないとね。

では、朝食後ウォーキングで行ってきます!

2月10日からNewsPicsで始まった連載【リクルートからJリーグへ。「改革者」村井チェアマンの半生】を毎朝楽しみに読んでいる。

ムライさんと僕との関係は、いまさら(日記読者の皆さんには)説明する必要もないとは思うが、僕の最高の先輩であり、師であり、親友&悪友である。

僕が大学3年生、ムライさんが(リクルートの内定者だった)大学4年生のときからなので、丸35年の付き合いになる。

ムライさんがいなければ僕がパフを創業することはなかったわけだから、その影響力たるや計り知れない。

そんなムライさんの半生を綴った特集。僕が知っていることもたくさんあれば、この特集を読んで初めて知ったこともある(この特集では触れられていない、もっと面白くてヤバイ話もあるんだけどw)。

毎朝、ひとり笑いながら、時に涙しながら読んでいる。

僕だけの楽しみにとっておくのはもったいない。もっと広くの人たち。とくにパフの社員やその家族、お取引先の皆さんにはぜひ読んでいただきたいなと思って、本日の日記でお知らせすることにした。

 

 

第5話の「ほとんどストーカー。彼女を追いかけて早稲田大学へ」は、実に微笑ましい。奥さんとのエピソードも出てくる。

第7話は、ムライさんがなぜリクルートに入社したのか、という話。これは就活生の皆にも読んでほしい。やれ自己分析をしっかりやれだの、業界を絞れだの、軸をはっきり決めろだの、ESはこう書けば受かるだの・・・・・・。そんな大人たちの指導がバカみたいに思えてくるはずだ。

第8話や第9話は、ムライさんの新人時代の失敗談。現在のムライさんしか知らない人には信じられないだろうが、すべて本当の話である。仕事がうまくいかずに悩んでいる若手社会人にはぜひ読んでもらいたい。

 

 

第10話から第12話にかけては、ムライさんがリクルート事件やバブル崩壊の混乱時に人事の責任者として異動となったころの話。ここらへんの話は、経営者や人事担当者にはぜひ読んでもらいたい。ムライさんが周囲にもあまり語らなかった衝撃的な話も出てくる。

 

僕はNewsPicsとは何の関係もないのだが(たんなる購読者の一人なんだけど)、素晴らしい特集を組んでくれたことに感謝している。

購読は有料なんだけど、お金を出して読む価値が十分にある特集だと思う。

明日から2018のJリーグが開幕する。ムライさんのチェアマン続投も正式に決まったようだ。「お互い引退したらいっしょに世界を放浪しような」って約束していたムライさん。僕ももうちょっと続けますから、あと2年間の任期満了まで頑張ってね(^_-)-☆

では朝食後、すっかり足腰も回復したので早足ウォーキングで行ってきます!

北の国からが大好き!

2018年2月21日 (水曜日)

ケトルという雑誌をご存じだろうか?

wikipediaでは、次のように紹介されている。

===

本屋大賞」などの立ち上げに携わってきた博報堂のクリエイティブディレクターの嶋浩一郎氏が編集長を務める。本誌のコンセプトは「最高に無駄が詰まった雑誌を目指して」である。特集内容は、アート、食べ物、動物、文学、街など多岐にわたり、これまでで最も「無駄が詰まっ」ていたのは2012年6月の『調味料が大好き!』特集である。

===

ふむふむ。「無駄が詰まった雑誌」か。まるで僕のような雑誌だな(笑)。

このケトルの最新号の特集が「北の国からが大好き!」というものだった。

 

 

先日、僕の36年来の親友にそのことを聞き、早速買ってみた。

「北の国から」は、1981年の10月から1982年の3月末までフジテレビ系で放映されていた連続ドラマ。いまから36年前。当時僕は大学2年生だった。

当時から大好きだった。連ドラが終わった後も、スペシャルドラマが数年に一回の頻度で制作されていった。

純や蛍の成長とともに訪れる青春の蹉跌を追いかけつつ、親の老いと苦悩、人間同士の愛と憎悪、家族愛、隣人愛、都会と過疎地に生きる人々の人間模様を、北海道の大自然を背景にして見事に描き切ったドラマである。

詳しく語り始めると、一週間くらいかかりそうなのでやめておくけど。なんたって、1981年から始まったドラマが終わったのが2002年。ドラマスタート時、五郎46歳、純9歳、蛍8歳だったのが、最終話(2002遺言)では、五郎67歳、純31歳、蛍30歳になっていたのだから。20年以上におよぶこの父子の人生を語るだけでも、一升瓶が5~6本空いてしまいそうだ(笑)。

てなわけで、北の国からが大好き。

実は、今年の7月上旬、仕事で北海道に行くのだが、そのついでに一週間ほど休みを取って、北の国からの舞台となった富良野や麓郷や落石や羅臼を一人で巡ってみようかと思っていた。まさにタイムリーな今回のケトルの特集だった。

あ、そうそう。いまからちょうど6年前に、こんな(☟)記事を書いていたので「北の国から」と「ALWAYS三丁目の夕日」のファンのみなさんは、ぜひ読んでみてください(^^♪。

純と淳之介の関係が、五郎と純の関係に見えた日

 

さてと。膝の痛みもだいぶ和らいできた。きょうは鍼治療に行って、体調回復を万全なものにしたいと思っている。

では、リハビリモードのゆっくりウォーキングで行ってきます!

昨日の夕方の飛行機で熊本から帰ってきた。足腰の激烈な痛みのため熊本観光は諦めて午前中はホテルで大人しく過ごすことにした。

で、昨日の日記の終わりのところに書いた「きよさんからもらった焼酎」。やっぱり、ラーメン屋さんに置き忘れていたのだった。

僕はラーメン屋さんの名前も場所も忘れてしまっていたのだが、山田さんはちゃんと覚えており、お店の情報(食べログの掲載情報)を僕にメッセンジャーで知らせてくれた。そのお店に速攻で電話したら、「あー、焼酎のボトルでしょ。くまモンの化粧箱に入っとう白岳でしょうが。安心して。ちゃんととっといますよ」とお店のおばちゃんが温かな熊本弁で教えてくれた。

あー、よかった。

すぐにでも取りに行きたかったが、僕は足腰の痛みで歩けない。どうしようかと逡巡していたら山田さんから「取りに行ってあげましょうか」との連絡が。前夜の愚か者ぶりを、さんざん釘さん日記で暴露した僕に対するこの優しさ。なかなかやるじゃないか。感謝である。

で、手元に戻ってきたボトルがこれ。

 

くまモンはホントに可愛いね。

 

5時間55分32秒のタイムを書き込んでみました(^^♪

 

なんだか飲むのがもったいないな。特別な日にだけ飲むことにしよう。きよさん、あらためてありがとうございました!

 

さて、足(とくに膝と腿)と腰の痛みはまだ取れないが、いつまでも引きずるわけにはいかない。明日は鍼を打ってもらおうと思っている。

なんとか週末のヨコヤマの結婚式までは復活させなければ。恒例のギター弾き語りをスピーチに代えてやることになっているのだ。ヨコヤマの大事な舞台なので、僕も完全なコンディションで臨まなければね(#^^#)

では、通常の半分以下のスピードでしか歩けないので、ちょっと早めに行ってきます!