パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

今週は、創業物語<番外編>として、創業時の株主で、とくにパフの若い社員たちにも知っておいてほしい方々のことを紹介してきました。今回はその締め括りとして「仙台の志田かっちゃん」をご紹介します。昨日の「仙台の菅原さん」の続編「釘さんの素晴らしき100の出会い」の第75を再掲してご紹介します。


 「求人サイト『登龍門』で出会った人々(その5)」 2006/05/22

前回のコラムで、メディアバンクが東北・仙台で開催した学生向けイベントのことを書いた。もう10年以上前のことである。前回も書いたが、このイベントに招いていただいたことで僕は、かけがえのない出会いを得ることになる。

このイベントには、地元(東北地方)の30社ほどの企業が出展していたのだが、気になる会社がその中に1社あった。

数週間前に『登龍門』に掲載を申し込んでくれた「サイデック株式会社」という会社だ。

仙台に本社を置く会社で、電子部品や精密機器の包装資材を供給しているメー カーだ。国内のいくつもの大手電機メーカーが取引先で、この分野では大きな 影響力を有している会社である。

「へー、サイデックさんも出展してるんだ。あとでご挨拶させてもらうとするかな」

イベントの全プログラム終了後、出展企業同士の情報交換を兼ねた懇親会が開かれた。

ビールでの乾杯後、サイデックの担当者を探すことにした。会場で遠目に見て チェックしていたのだが、とても体格のいい人だったので、苦労することなく探し出すことができた。

「あのー、サイデックさんですよね? 私、登龍門の運営責任者のクギサキと申します。先日は掲載をお申込みいただきまして、ありがとうございました」

「え、クギサキさんですか!ぜひお会いしたいと思ってましたー!!」

こんな感じで名刺交換をし、二人の初めての会話は始まった。

もらった名刺を見てびっくりした。「常務取締役」と書いてある。常務といえば、会社の重鎮である。ナンバー2とか3のポジションだ。

名前は、志田雄彦(しだかつひこ)さん。常務という役職に似合わず、飾らない気さくな人柄で、すっかり二人の会話は盛り上がっていった。

志田さんの年齢は僕と同じ(当時35歳)。子供の年齢も同じ(当時4歳)。 子供が女の子だということも同じ。ついでに言えば、愛(恐)妻家だということも同じ。他にも共通点がたくさんあり、なんだか初めてお会いしたとは思えないような親しみを覚えた。

・・・・・

このイベントから1年半後。僕は仙台まで志田さんを訪ねた。H社を辞め、独立することを告げるためだ。

志田さんはビックリした様子だったが、我がことのように喜んでくれ、独立後も応援してくれると言ってくれた。仙台駅前の料理屋さんで、東京行き新幹線の最終ギリギリの時間まで、二人で酒を酌み交わした。

そしてパフ設立後。志田さんは約束どおり、パフの協賛企業第一号として、契約を交わしてくださった。パフに何の実績も能力もない段階の時である。

志田さんは、それから現在に至るまで、パフの良き理解者として、ほとんどの社員たちと(お酒の席を中心に)交流を持ってくださっている。

社員たちとだけではない。企業同士の会合の席などでも、その独特で天真爛漫な(明るく元気で野性的な)キャラクターを存分に発揮しながら、パフの『広告宣伝部長』として大活躍してくださっている。

ある協賛企業の方に「パフを語るとき、志田さんを抜きにしては語れない」と言われたことがあるが、まさにその通りだ。志田さんとの出会いがなければ、 今のパフはないといっても過言ではない。

ということで今回は、『登龍門』を通じた出会いの5人目(通算47番目の出 会い)。サイデック株式会社の社長(当時常務)、志田さんでした。

※志田さんは2003年3月、サイデック株式会社の代表取締役社長に就任。 現在に至っています。


このコラムを書いたのが14年半前。志田さんとの出会いが、そこからさらに遡ること10年前。つまり志田さんと出会ったのは、いまから四半世紀も前になるわけですね。

当時僕らは35歳だったということに、このコラムを読んだいまビックリしています(笑)。

このときのコラムには書きませんでしたが、志田さんに独立を告げた直後、志田さんは即座にパフへの出資を決めてくれました。

パフ創業から5年間くらい、僕は月に最低一回は仙台に出張して、採用コンサルだけでなくITコンサルのようなこともやらせてもらっていました。目的の半分は、国分町で飲むことだったように思いますが(苦笑)。

👆5年ほど前のかっちゃん@仙台

 

いまでは会える機会は年に数えるくらいになってしまいましたが、いつも会えば深夜まで大いに盛り上がってしまいます。お互い、いい歳なのに……。

パフの10周年式典のときも、20周年式典のときも、登壇していただいて楽しいコメントをいただいたりもしていました(20周年のときは紅白歌合戦の審査員でしたねw)。

志田さんは通称「かっちゃん」と呼ばれています。僕もオフタイムでは、いつも「かっちゃん」です。かっちゃんとの友情は一生もの。これからもずっとお付き合いが続いていくことは間違いありませんね。

さて、来週は創業物語の本編に戻り、いよいよ最終章を迎えます。最終回は、リライトではなく新たに書き下ろそうかとも考えています。

ではまた来週もお楽しみに(@^^)/~~~