ハロウインパーティー(?)だった日
2009年10月31日 (土曜日)
午前中からお昼過ぎまで、もろもろの私用を済ませて会社に向かった。途中、銀座の山野楽器で、ギターの弦を買った。
会社に着き、僕の席の後ろに置いてあるギターを取り出し、すべての弦を(たったいま買ってきた新品の弦に)張り替えた。
ちなみに、このギターはいまから27年前。僕が大学三年生のときに買ったものである。当時の価格で12万円。貧乏学生の僕にとっては、家を買うくらいの思い切った買い物だった。
(このときのエピソードは、ここに書いてあるので興味のある方はどうぞ⇒釘さんの素晴らしき100の出会い『夏休みと12万円のギター』 )
このギターを持って8Fのセミナールームに移動した。
セミナールームでは、今年就職活動を終えた大学四年生(特にパフの夏のイベントを手伝ってくれていた学生たち)が集まって、パーティーを行っていたのだ。
パーティーは、時節柄、ハロウイン風。僕も小一時間ほど交ぜてもらい、歌の披露をさせてもらったというわけだ。
最初、松山千春のデビューしたばかりのころの唄を2曲ほど歌った。先週、松山千春の映画を観て、感化されたばかりだったのだ。
しかし、学生たちはポッカーン。そりゃあ32年も前の唄じゃ無理もないか。当時はだれもが知っていた松山千春なんだけどな……。
気を取り直して、いまの学生でも知っている唄を3曲。コブクロの「ここにしか咲かない花」と「轍(わだち)」。そして、長渕剛の「乾杯」を歌った。
「乾杯」は皆で合唱したりして、無理やり盛り上げた。
そういえば、うまれよ塾で一緒だった学生や、先日僕がこの日記で紹介した(感動する手紙を出してくれた)学生も来ていた。
たまには、こうやって若い連中といっしょにハシャグのもいい。
でも考えてみれば、もう親子の年齢差なんだよなぁ。
うーん。感慨深し・・・である。
リストラを開始した日
2009年10月30日 (金曜日)
なんとも穏やかではない日記のタイトルである。
いよいよ我がパフでもリストラが始まった。
気になるリストラの対象は……。
社長……なのである。
い、いや、僕がクビになるのではない。
「社長席」をリストラすることにしたのだ。つまり、僕の席がなくなるわけだ。
パフの事務所は現在、ビルの2フロアを使用しているのだが、経費削減のため、1フロアに集約することにした。
いままで2フロアに分散していた会議室や倉庫などを1つのフロアに集約する。
だから、要るものと要らないものとを峻別して、捨てても構わないものは廃棄処分にして、面積を確保しなければならない。
社員数が減るわけではない(むしろ今後増えていく)ので、社員の机の数を減らすわけにはいかない。
そこでリストラの標的となったのが社長席。つまり僕がいま座っている席なのだ。
僕はいま、会社の中ではイチバン広い面積を使わせてもらっている。書棚やキャビネやギター(?)を置いている面積まで含めると、社員3~4人分くらいの面積を使っている。
「それだけの面積が必要か?」と言われれば、ぜんぜん必要ない。確かに創業以来12年間のいろんな資料が溜めこまれているので、キャビネや机の引き出しはパンパンなのだが、ほとんどが捨てても問題のない資料なのである。これはもう、恰好のリストラ対象なわけだ。
でも社長席をなくすのはいいけど、そのあと僕はどこに座るのか……。
実は決まっていない。今後も決めない。住所不定の流浪の徒になる。
その日の気分で社員席の空いているところに(たぶんその時々の“要注意社員”のそばに)座ることにする。カッコよくいえば、フリーアドレスなのである。社長がフリーアドレスの会社っていうのも珍しいのではないかな。
で、きょうから社長席を撤去すべく、膨大に溜めこまれた資料の処分作業に入ったのである。
いやあ、これがたいへん。懐かしい資料(たとえば大昔の社員の評定表とか新聞記事とか新年の挨拶文とか)がたくさん出てくるものだから、作業している時間よりも「思い出迷子」になっている時間のほうが長い。
社長席の撤去日は来週の金曜日。それまでになんとか12年間の思い出を断ち切るように頑張ろう!
破壊と創造の第二回採用会議だった日
2009年10月29日 (木曜日)
きょうは夕方から、企業人事担当者向けセミナー「破壊と創造の第二回採用会議」を開催した。
8月と9月(追加開催)に行った「第一回」の続編である。
前回までは就職と採用の問題点を全般的に語った。
今回は「Web採用のバカヤロー」という題名で、我々はどのようにWebを使っていったらよいかということを議論した。
この会議は、パフと常見陽平さんとのタイアップ企画。
まず第一部は、常見陽平さんの講演。いつもながらの連射砲トークが炸裂した。
第二部では、ネット界の有名人であるニュースサイト編集者の中川淳一郎さんをゲストとしてお招きした。中川さんは今年の春、 『ウェブはバカと暇人のもの(光文社)』という新書を出しており、ネット業界を震撼させた人だ。
中川さんの独特な語り口と過激(?)なパワーポイントとで、ネットというものの正体を見事に暴いてもらったのち、中川さんと常見さんにWeb採用(主に○○ナビ採用)の功罪に関する意見を伺った。“バカとWebは使いよう”なのだが、我々は、Web(あるいは○○ナビ)にバカ化されないように十分気をつけなければならない。
第三部では、参加者に4グループに分かれてもらったうえでのグループ討議。
採用担当者の皆さんが現場で日々感じておられるWeb採用のバカヤローな点(問題点)を洗い出してもらったうえで、その改善策を討議した。短い時間ではあったのだが、エキサイティングな議論が各グループで行われたようだ。
・・・こんな感じで行われた今回の「破壊と創造」。まだまだ破壊しきれていないし、創造までの道のりは険しい。
でも、ネクスト○○ナビ(マッチポンプサイトの“○○ナビNEXT”じゃないですよ、笑)の姿は、おぼろげながら見えてきたような気がする。
多くの志ある企業の採用担当者の皆さんと、志を共有できる同業の仲間たちと一緒に、新しい姿を模索し続けたい。
以下は、セミナー後に撮影した、中川さん・常見さんとの写真。実はふたりとも一橋大学のプロレス研究会出身なのだ。僕もプロレスポーズで決めてみた。しかも名誉あるリングネームまで授けてもらった。その名は『アトサキクギサキ』。
明学での職学校が完了した日
2009年10月28日 (水曜日)
今月の初旬から明治学院大学で行ってきたイベント「職学校」。本日ですべてのプログラムを終えた。
全10回の開催。大きなトラブルもなく、すべての回を終えることが出来て、正直ホッとしている。
毎回4社の企業の人事担当者と現場の社員の皆さんにご協力いただいた。
企業だけで40社80名になる。参加した学生は、(延べ数で)2,000名~3,000名くらいだろうか。考えてみたらこの短期間で多くの方々と接してきたことになる。名刺もあっという間になくなってしまった。
この職学校で感じたことはいろいろとあるのだが、また後日の日記か、メルマガのコラムにでも書くことにしよう。
ところで、きょうのお昼頃。大学で打ち合わせをしているとき、創業時からの協賛企業・S社のS社長からメールが入った。
仙台に本社のあるS社なのだが、本日急きょ出張で東京に出てきたのだという。
当然のことながら(?)、夜はこのS社長と一献傾けることになった。S社長は、取引先の社長というよりも、僕にとっては「親友」であり「大恩人」でもあるのだ。
今夜は、ひっそりと自分自身の慰労会をやろうと思っていたので、ちょうどいいタイミングである。
ひっさびさに(4ヶ月ぶりくらいかな)、スナック「のろ」に出かけた。
ママは相変わらず素敵。“お帰りなさい。お仕事おつかれさま。”という、癒しの言葉で僕らを出迎えてくれた。
とっても平和に過ごせたひととき。慰労会として最高の時間を過ごすことが出来た。
S社長とのろのママ。お付き合いいただき、どうもありがとうございました
そして自分自身へ。「よく頑張ったね。お疲れさまでした」。
今シーズンも“うまれよ塾”が始まった日
2009年10月27日 (火曜日)
パフの創業2年目から、ずーっとやり続けているイベントがある。いや、正確にはイベントではなく、『塾』である。
まるまる10年間。この塾から、様々な社会人が生まれていった。
そう、その塾の名は、 『うまれよ塾』である。
この釘さん日記でも「うまれよ塾」のことを、いろいろ書いてきた。
ネットで「うまれよ塾」を検索してみたら、以下の日記でが出てきた。
古い日記だと5~6年前のものまで検索でひっかかってきた。ちょっとした財産だな。
今夜は、これを覗き見して寝ることにしよう。
●2004年11月27日(土) 久々に『うまれよ塾』を行った日
●2008年6月16日 (月) 『うまれよ塾』OBの新入社員からメールをもらった日
●2008年12月24日 (水) クリスマスイブに、うまれよ塾だった日
●2009年5月19日 (火) うまれよ塾の今年度最終回だった日
また今年度も、たくさんの出会いが生まれることに期待と感謝をしつつ、おやすみなさい。
人間ドックの結果を見た日
2009年10月25日 (日曜日)
2週間ほどまえに受診した人間ドックの結果が来た。実際には金曜日に届いていたのだが、鞄の中に入れっぱなしで、ついさっき思い出して取り出し読んでみた。
ふむふむ。
昨年の人間ドックは酷かったのだが、今回は総じて持ち直している。やはり、毎朝30分~40分ほど歩いているのが効果を表しているのだろうか。
メタボ判定も、すべての測定項目(へそ周り、脂質、血圧、血糖)において基準をクリアしていた(へそ周りはスレスレだったが)。
とはいえ懸念事項がないわけではない。
僕にとっては、なかなか改善に向けて取り組みにくい項目なのだ。5年ほど前から、ずうっと注意され続けているのだが……。
まあ詳しくは書かないけど、ある検査項目がグラフの壁を突き破るくらいに異常値なのである。でも、普段は自覚症状がない。それがまたやっかいなのだ。
いや、自覚症状がないわけでもないな。最近、酒にめっきり弱くなってしまったのは、これが原因と思われる。
聞くところによると、対策として、蜆(しじみ)の味噌汁を毎日飲むといいらしい。毎朝コーヒーの代わりに、ちょいと試してみようかな。
経営者っていうのは健康でいることがイチバン大事なことである。なにしろ元気がイチバン。経営者が元気でいる限り、どんなに不景気で苦境に陥ったとしても、いつかはなんとかなるものだ。
ということで、まずは来年の人間ドックに向けて、蜆(しじみ)作戦の開始だ!
たくさん観てたくさん感動した日
2009年10月24日 (土曜日)
昨夜は意識不明のバタンキューだったが、今朝は(土曜日ではあるのだが)いつもと同じように、5時45分に起床。願掛けウォーキングに出かけた。
帰宅後、朝食のまえに、さっそく観た。
それはテレビドラマの「不毛地帯」。これはなかなか凄いドラマだ。フジテレビを見直した。他のちゃらけたバカな番組さえやめてくれれば、NHKと同程度の評価をしてもいいくらいだ。
ずっと昔、仲代達也が主役を演じた同作の映画を観たことがあったが、僕がまだ若かった(浪人生時代だったかな?)せいもあり、そのときはこの原作の奥深さや本当の面白さが理解できていなかった。
今回のドラマは、唐沢寿明が、主人公の壹岐正(モデルは伊藤忠商事の元会長で中曽根元総理のブレーンだった瀬島龍三氏)を演じている。仲代達也とはまったくキャラの違う俳優なのだが、新しい壱岐正像をつくり上げている。
今回は、来年の3月まで半年間の連続ドラマだとのこと。昔のドラマでは、半年間連続はごく普通だったのだが、最近(この20年くらい?)ではとても珍しいことだ。本格社会派ドラマ。これからぜひ期待したいところだ。
朝食後、豊洲の映画館に出かけた。次に観たのは、本日から封切りの「沈まぬ太陽」。「不毛地帯」と同じく山崎豊子の原作の映画化だ。なんと3時間20分の超大作なのである。
映画の尺もさることながら内容が重い。日本航空(JAL)の再建(救済)に国民の関心が集まる中、まさにタイムリーな上映となった。
もちろん原作にも映画にも、事実と異なるところはたくさんあるものの(映画でも「実在の人物、団体等とは関係ありません」とは断ってはいるものの)、それでも実在の会社、経営者、財界人、政治家を容易に思い浮かべることができる。
会社というもの、正義というもの、家族というもの。そして、「我々は誰のために、何のために働くのか」ということを考えさせてくれる映画であった。
なんたって、渡辺謙と三浦友和と石坂浩二の演技が抜群だ(もちろん他の役者も素晴らしかったが)。3時間20分があっという間に過ぎ去った。
本作の映画化の過程では、日本航空や一部政治家から相当な圧力がかかったらしいが、むしろ日本航空で働く人々には、この映画を最大のエールであると受け止めてほしい。
そして醜い実態を晒してしまった旧国鉄の上層部の皆さんにも、この映画を通じて、人間の命の重さ・尊さを、いまいちど理解してほしいと思う。
夜は、松山千春のデビューするまでのエピソードを描いた映画のDVD「旅立ち~足寄より~」を自宅で観た。
僕はこの映画の存在を知らなかったのだが、数日前ひょんなことがきっかけで、盟友のマングローブ今野社長に教えてもらった。今野社長の弟さん(僕と同い年)が、かなりの千春ファンなのだそうだ。かくいう僕も高校三年生のころ、デビューしたばかりの千春のファンで、地元の大分文化会館にコンサートを観に行ったこともある。下宿のラジカセでは、ダビングしたデビューアルバムを何百回も聴いていた。
映画そのものは制作費をずいぶん抑えた地味な作りだったのだが、ストーリーは胸に突き刺さるものがあった。正直ずいぶんと泣いた。この映画のストーリーは、ほぼ100%実話に基づいていることが、大きな感動の原因のひとつである。
ということで、朝から晩までドラマ・映画三昧だったわけだが、文化の秋らしい充実を感じた一日だったのだ。