パフ代表の徒然ブログ「釘さん日記」

金曜日の朝の日記で、

さて、本日の夜は、いまから10年以上前の学生団体の幹部(いまは社会人10年生)が、10年ぶりにお礼をしたいということで、宴席に招待されている。そういえば、あのころの連中は前向きなパワーが漲っていたなあ。さて、今宵、どんな会になるのだろうか。楽しみにしたいと思う。

と書いた。

さて、実際にはどんな会合になったかというと…。

10年前の学生団体幹部というのは、熊澤匠(くまざわたくみ)という男。たまに僕の日記にも出てくるのだが、僕との出会いは10年前の西暦2000年。彼は「500人キャンプ」という団体の幹部(副代表だったかな?)だった。ドットジェイピーの佐藤大吾さんから紹介されて僕のところ(かつてパフの本社のあった月島)にやってきた。彼の目的は「お金」。つまりは学生団体を運営するための資金に窮しており、僕のところに「スポンサーになってほしい」とお願いに来たのだ。

その日どんなやりとりがあったのか、さっぱり忘れてしまったのだが、僕は彼らに10万円を提供することにした。即決だった。僕は当時創業から間もなく超貧乏だったはずなのに、初対面の男になぜ気前よく10万円も即決で渡したのか。いまもって不思議なのであるが、まあ、それだけこの熊澤匠という男に、何かを感じたのだろう。

その熊澤匠との縁が復活したのが5年ほど前。当時提携していた就職エージェントの本社で、同社の社長(下薗博康さん)と打ち合わせをした帰りの廊下だった。「クギサキさん、ご無沙汰しております!」と背後から声をかけてきたのが、この熊澤匠だった。「なんだおまえ、こんなところでなにやってんだ!?」とびっくりしたのだが、彼は卒業後、議員秘書をしているとき、下薗社長にスカウトされ同社に転職したのだという。「おまえ、この業界に来るんだったら、まずは俺のところ(パフ)に来るのが筋っていうもんだろ(怒)!」というバトルが、その後あったとかなかったとか(笑)。

ともあれ、その熊澤匠が10年まえの恩返しをしたいということで、本日僕を招いてくれたのだった。

 

場所は、東銀座のうどん屋。うどん屋なのに、ピアノが置いてあり、60歳前後の方々がピアノの周りに集まって、昔懐かしいポピュラーミュージックを合唱している。昔、「歌声喫茶」というのがあったが、まさにこれは「唄声うどん屋」。不思議な空間だった。

ここに集まったのは、熊澤匠と僕のほかには、熊澤匠の元上司の(というか、僕の盟友で、就職エージェントの元社長で、現キーカンパニーの社長で、現在はパフと同じビルに入居している)下薗博康さん、そして6年ぶりくらいに再会することになった(昔の取引先の採用担当者で、現、採用・育成コンサルタントの)梅田幸子さん、そして梅田さんの仕事仲間であるスイッチ・オン・マインド社長の田辺拓也さんだった。

どうしてこのメンバーだったのかは分からないのだが、実に楽しい宴席。この宴席の途中に、熊澤匠の携帯に連絡が入る。電話の相手は、ジョブウェブ社長の佐藤孝治さんだった。これから合流したいという連絡だった。佐藤孝治さんと会うのも6年ぶりくらいだ。佐藤孝治さんと僕の出会いも古い。互いの創業時から交流があったのだ。

せっかくなら場所を移そうということで行った先が、おなじみ「スナックのろ」である。

ほどなく、佐藤孝治さんも「のろ」に到着し、熱く楽しい時間が再スタートした。佐藤孝治さんが最近行った対談の話題を僕が持ち出したこともあり、皆がそれぞれの熱い思いを語りあった。そして唄もかなり歌った。下薗さんとのハモリも久々だった。佐藤孝治さんの唄を聴いたのは初めてだったんじゃないかな。なかなかだったな。

のろ佐藤孝治さん 
(中央でマイクを握っているのが佐藤孝治さん。その左が順に梅田幸子さん、田辺拓也さん。左右の端で無邪気にピースをしているのが、下薗さんと熊澤匠さんです)

それにしても、10年前の10万円が、こういう場を生みだしたというのは実に面白い。人の縁というのは、縦・横・斜め、いろんなところで繋がっている。それがまた、さらなる縁を紡ぎだし、思いもよらぬ新しい価値の創出に繋がっていく。

金曜日の夜の宴席も、そういう新しい価値の創出を予感させるものだった。

20日坊主で終わった日

2010年10月29日 (金曜日)

世の中のあらゆることには始まりがある。そして、始まりがあれば終わりもある。永遠のものは何もない。この地球ですら、あと何十億年か先には太陽の膨張により消滅すると言われている。

まさに、

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり

なのである。

なーんて、大げさな話ではない。

ついに早朝ウォーキングが20日めにして終わってしまったのだ。20日坊主である。

朝、目が覚めたらすでに6時を回っていた。

あれ?なぜ?

と不思議に思って、目覚まし時計(携帯電話ですが)を見てみたが、目覚まし時計はきちんと鳴っていたようだ。5時から10分間は鳴り続けていたはずなのだが、ぜんぜん気がつかなかったな。本日は金曜日。今週は宴席が多かったこともあり、疲れが溜まっていたのだろう。

ということで、また1日目から開始なのである。

台風が近づいているということなので、台風が過ぎてから新しい1日目を始めることにしようかな。

さて、本日の夜は、いまから10年以上前の学生団体の幹部(いまは社会人10年生)が、10年ぶりにお礼をしたいということで、宴席に招待されている。そういえば、あのころの連中は前向きなパワーが漲っていたなあ。さて、今宵、どんな会になるのだろうか。楽しみにしたいと思う。

 

昇進祝いと打ち上げだった日

2010年10月28日 (木曜日)

今朝のウォーキング。一段と寒さが増してきた。途中から雨がポツリポツリと降ってきたので、パーカーのフードをかぶって歩いた。しかも、ipodでコンサートの演奏曲を聴きながら。ハモリの部分の声だし練習をしながらのウォーキングなので、すれ違う人たちからは、相当に危ないオヤジだと思われていたかもしれない(苦笑)。

 

昨日は、日記にも書いたように某大学での学生向け企画の最終日だった。パフの就職応援サイトである「職学校web」と同じ「職学校」というネーミングのパネルディスカッション企画。まるまる1カ月、全10回をやりきった。毎回4社の人事担当や現場社員をゲストとして招きながらのこの企画、「働く」ということの(ほんの一部ではあるのだが)厳しさや喜びについて、学生に伝えることができたのではないかと思う。

最終回が終わった後、何人かの学生が「全部の回に参加させてもらいました。どうもありがとうございました」とお礼を言いにきてくれた。嬉しかった。ジーンと来た。こういうひとことで、いろんな疲れが癒される。

 

すべての片づけが終了した後、大学からタクシーで1メーターのところにあるお洒落なレストランに向かった。この大学のキャリアセンターの方々3名もいっしょだ。パフ側は僕も含めて4名。ひとりはこの大学のOGでもある。

レストランに行った目的は、実は単なる打ち上げだけではなかった。キャリアセンターのSさんが、このたびめでたく課長に昇進され、そのお祝いを兼ねてのものだったのだ。

Sさんは僕がパフを設立するまえからのお付き合い。もう15年になる。パフ創業時から現在まで、ずっと我々を見守ってきてくださった良き理解者である。そのSさんが昇進したわけだから、僕らにとっても喜びひとしおなのである。

この打ち上げ兼昇進祝いの食事会。夜の7時過ぎから始まったのだが、終了したのがお店のラストの11時。あっというまの楽しい時間だった。

 

ということで、この数日、「早寝早起き」の習慣がやや崩れている。今夜は(いまのところ)ノンアルコールの予定なので12時までには床につけるかな?

11月13日のコンサートまで、あと2週間と少し。急に冬になってしまったが、体調管理に万全を期さなければならない。早寝早起き。適度な運動。規則正しい生活がイチバンなのだ。

ということで、そろそろ出かける準備をするかな。そういえば、きょうはドラフト会議だったような…。僕もきょうは終日、会社で来客と打ち合わせの連続だ。

では、行って来ます! あ、そのまえに新聞を読もう。

楽しい送別会だった日

2010年10月27日 (水曜日)

さっき(といっても6時半ころ)早朝ウォーキングから戻って来たんだけど、寒かったなあ。思わずウォーキングじゃなく走ってしまった。

でもやっぱり僕は、寒いほうが暑いのよりも好きだ。身が引き締まるし頭も賢くなる気がする。

 

さて、昨日の午後は、かつて僕がIT業界(大手メインフレーマー)に身を置いていたときの同僚(Iさん)が最近設立した会社にお邪魔した。Iさんは、5年ほど前より個人事業主として活動していたのだが、顧客の勧めもあり、仲間たちと一緒に会社組織にしたのだそうだ。

Iさんは、ERP(統合業務パケージ)、なかでも生産管理の分野が得意領域なのだが、設立した会社は、この分野に特化したコンサルティング会社なのだ。

Iさんと久々にコンピュータの専門的な話をしたのだが、自分もかつてはITに携わっていたことを思い出した。よくもまあ、こんな難しいことをやっていたものだ(笑)。

赤坂(溜池)の一等地に事務所を構えたIさん。僕より2歳年上で、いままで培ってきた人脈もたっぷり。後半の社会人人生を、ぜひ頑張ってほしいと思う。

 

会社に戻りほどなくすると、事業パートナーのNちゃんがやってきた。Nちゃんは一身上の都合でいま所属している会社を辞め、関西に行ってしまうのだという。そこで急きょ有志が集まって送別会を催すことになった。

Nちゃんには、(僕個人としては)どちらかというと仕事ではないことで随分とお世話になった。Nちゃんは飄々としており、気を遣わなくてもいい奴なので、付き合っていてとても気楽だったのだ。

昨夜の送別会も終始リラックスモード。いろんな話が飛び出してきて楽しかったな。Nちゃんにも新天地では、思いっきり頑張ってほしい。関西に出張するときの楽しみが、これでまたひとつ増えたぞ。

 

さて、本日は某大学でのお仕事(僕が登板するシリーズ企画)の最終日。この一ヶ月間、毎週水曜日、1日に2回で計10回、のべ2千人の学生と接してきた。学生だけではなく、約40社の企業とも接してきた。

時間も体力も気力も使う、なかなかハードな仕事だったので、本日終了することが(無事終了すればの話だが)やけに嬉しい。調子がいいもので、もっとやってもいいかなと思ったりもする(いや、思うだけですよ、笑)。

夜は、この大学の職員の皆さんとの(きっと)楽しい会合だ。なんだか随分とお洒落っぽいお店が予約されているようだ。夜の部も楽しみにしつつ、有終の美を飾ってこようと思う。

さて、ではそろそろ出発するとしましょうかね。

あ、そうだ。昨日決まったんだけど、11月末にビッグアーチストと会えることになったのだ。そのことも書きたかったけど、時間がなくなったのでまた今度。

では行って来ます!!

早寝早起きが崩れそうな日

2010年10月26日 (火曜日)

月曜日。いつもより早めの朝4時半に目が覚めた。ブログの更新をやったのち外へ。早朝ウォーキングだ。

その後、朝食を済ませ会社へ。

朝8時から9時まで営業会議。その後、こんどは週に一度の全社会議。

そこから今期の数字(予算)の全面見直し&シミュレーションを実施。必要経費として使うお金、使わなくてもいいお金を、自分なりに仕分けした。「ひとり事業仕分け」である。

会社の予算というのは、インプットとアウトプットがワンセットで構成される。インプットが当初予想よりも小さくなるのなら、アウトプットもそれに応じて小さくしなければならない。しかしこのアウトプットを既得権益のように考えている輩がいるからやっかいだ。会社は生き物。予算も生き物。その時々の状況に応じて、柔軟に対処しなければならないのだ。

ところで、長らく続いている早寝早起きが崩れそう。

昨夜も実は床に就いたのは、すでに12時を過ぎていた。そして今夜も。遅寝早起きになりそうだ。

すでに頭の中は熟睡状態に近いのだが、まだ眠れない。

明日(もう本日だ)は四半期業績開示のための打ち合わせ。そして株式関連業務のための打ち合わせ。

午後は、社内会議のあと某社の社長のところに表敬訪問。某社の社長は、僕がIT関係の仕事をしていたときの仲間なのである。つい最近、念願かなって独立したのだ。

夜は、事業パートナーの送別会も予定されている。明日も遅寝になりそうな予感。

あ、もう駄目だ。限界。

早いところ風呂に入って寝ることにしよう。

この土・日は、ずっとギターを弾いていた。ハモニカも吹いていた。おかげで左の指先は赤紫色になってしまった。キーボードを打つのも痛い。数日すると皮がコチコチに固くなるんだろうな。ハモニカも吹きすぎて、いまちょっと酸欠状態かも(苦笑)。

さて。11月13日の曲目を正式に発表しよう。

以前この日記で発表した内容とほぼ同じなんだけど、ここにいっぺんに載せておいた方が自分でも便利なのだ。

唄とギターは下手糞なのだが、曲は名曲ぞろい。しかも伴奏のピアノとバイオリンは、プロ級の腕前(ピアノはホントにプロ)。イントロや間奏を聴いただけで涙がこぼれ出ること間違いなしなのです。

まだお申込みでない方、迷っている方は、以下からお早めにお申し込みください。

http://www2.gol.com/users/akku/sasakami/liveinfo.html

※すでに申し込んでおられる方々も含めまして、一週間前までには確認のご連絡を差し上げます。

さて。では、以下、一挙、76曲。当日の演奏曲です!!

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50歳記念ライブinささかみ 演奏曲一覧
 
第一部(午後3時半~5時半)

1.今日までそして明日から(吉田拓郎。※オープニング)

1963年(以降、曲が発表・発売された年を記述しています)
2.上を向いて歩こう(坂本九)
1965年
3.涙くんさよなら(ジャニーズ)
4.ヨイトマケの唄(丸山明宏)
1967年(ここから小学生)
5.この広い野原いっぱい(森山良子)
6.花と小父さん(伊東きよ子)
1968年
7.イムジン河(ザ・フォーク・クルセダーズ)
8.悲しくてやりきれない(同上)
9.亜麻色の髪の乙女(ヴィレッジ・シンガーズ)
10.長い髪の少女(ザ・ゴールデンカップス)
11.小さな日記(フォー・セインツ)
12.風(はじだのりひことシューベルツ)
1969年
13.希望(岸洋子)
14.さすらい人の子守唄(はしだのりひことシューベルツ)
15.真夜中のギター(千賀かほる)
16.どうにかなるさ(かまやつひろし)
1970年
17.戦争を知らない子供たち(ジローズ)
1971年
18.翼をください(赤い鳥)
19.出発の歌(上条恒彦+六文銭)
20.虹と雪のバラード(トワ・エ・モア)
1972年
21.さよならをするために(ビリー・バンバン)
22.太陽がくれた季節(青い三角定規)
23.東へ西へ(井上陽水)
24.学生街の喫茶店(ガロ)
25.旅の宿(吉田拓郎)
1973年(ここから中学生)
26.心の旅(チューリップ)
27.神田川(かぐや姫)
28.僕の胸でおやすみ(かぐや姫)
29.ひこうき雲(荒井由実)
30.五番街のマリーへ(ペドロ&カプリシャス)
31.さらば青春(小椋佳)
1974年
32.岬めぐり(山本コウタローとウィークエンド)
33.青春の影(チューリップ)
34.ふれあい(中村雅俊)
35.22才の別れ(風)
36.サボテンの花(チューリップ)
1975年
37.俺たちの旅(中村雅俊)
38.いつか街で会ったなら(中村雅俊)
39.風の街(山田パンダ)
40.「いちご白書」をもう一度(バンバン)
41.なごり雪(イルカ)
42.時代(中島みゆき)
43.僕がつくった愛の歌(チューリップ)
 
 
第二部(夜7時半から終わるまで)
1976年(ここから高校生)
1.ささやかなこの人生(伊勢正三)
2.酒と泪と男と女(河島英五)
1977年
3.秋の気配(オフコース)
4.わかれうた(中島みゆき)
5.秋桜(山口百恵)
6.旅立ち(松山千春)
7.大空と大地の中で(松山千春)
1978年
8.オリビアを聴きながら(尾崎亜美)
9.チャンピオン(アリス)
10.巡恋歌(長渕剛)
11.この空を飛べたら(中島みゆき、加藤登紀子)
1979年(浪人時代)
12.いとしのエリー(サザンオールスターズ)
13.きみの朝(岸田智史)
14.恋(松山千春)
15.Wake Up(財津和夫)
16.さよなら(オフコース)
17.安奈(甲斐バンド)
18.異邦人(久保田早紀)
19.大阪で生まれた女(BORO)
1980年(ここから大学生)
20.昴(谷村新司)
21.万里の河(チャゲ&飛鳥)
1981年
22.もしもピアノが弾けたなら(西田敏行)
23.君は天然色(大滝詠一)
24.さらばシベリア鉄道(同上)
1982年
25.美しい女(来生たかお)
26.YaYaあのときを忘れない(サザンオールスターズ)
1983年(なんとなく社会人)
27.I LOVE YOU(尾崎豊)
1987年
28.夢をあきらめないで(岡村孝子)
1988年(結婚)
29.とんぼ(長渕剛)
1990年
30.少年時代(井上陽水)
31.会いたい(財津和夫、沢田知可子)
1992年(前年に娘が誕生)
32.サライ(谷村新司)
33.誕生(中島みゆき)

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曲は以上です。

しかしホントに全部歌えるのだろうか。いや、そのまえに観客は最後まで目の前にいてくれるのだろうか(苦笑)。

ともあれ乞うご期待です!!

ひとやすみの日曜日

2010年10月24日 (日曜日)

日曜日だ。きょうの早朝ウォーキングはいつもより少し遅めに(朝6時半ころ)出発した。いつも半袖のTシャツ姿で歩いているのだけど、さすがに最近は寒くなってきた。でも着るものがないんだよなあ…。

昨日は、朝から夜までずっと、11月13日のコンサートに向けた練習を行っていた。朝は自宅で。午後からは銀座のスタジオで。そして夜はスナックのろで(?)。

演奏曲がぜんぶで70曲以上あるものだから、練習しても練習しても、なかなか終わりが見えない。よくもまあ、こんなにたくさん歌おうと思ったものだ(苦笑)。

でも、本当に名曲の数々だ。練習していると、昭和30年代から昭和50年代までの歌謡史が鮮やかによみがえる。いちいち「この唄、いいよねぇ。涙が出ちゃうよ」と言いながら練習している(そんなこと言っているから終わりがみえない?)。

 

さて、きょうは完全休養日。

もちろんコンサートの練習もしなきゃいけないし、読みたい本もあるんだけど、基本はゆったり過ごすことにしよう。朝のウォーキングのときに着るウィンドブレーカーも買いに行きたいな。映画も観たいのだけど、どうしようかな。夜は龍馬伝だし。こうして考えると時間がないものだ。

そうだまずはとりあえず腹が減った。朝ごはんを食べよう。